能・狂言
今回の公演チラシが以下。 今年9月の公演で、浅井通昭師が演じた『錦木』に衝撃を受けた。記事にしている。 www.yoshiepen.net 格の高さ、品位、そして美しさで申し分なかった。どういう方なんだろうと思っていた矢先、この公演に出逢えた。幸運としか言いよ…
姿はスッキリと、声は朗々とで、長山耕三師シテの舞囃子「高砂」が頭抜けて良かった。二年前の京都・大阪での「大連吟」に参加して以来、この演目には想い入れがある。全体を覚えているので、思わず口をついて出てしまう。だから、うまい能楽師のものしか聞…
興味深かったので録画しておいた。以下がテレビ朝日の公式サイトからの情報。 令和元年に放送55周年を迎えた「題名のない音楽会」。記念して行われたスペシャルコンサートの3回目の今回は令和のキーワードでもある「グローバルな日本」をテーマに国内外で人…
非常に充実した社中会だった。さすが片山伸吾師の社中の方々。とくにこの能のシテを演じられた木村厚氏ほとんどプロといってもいいほどの巧さで、唸らされた。技術的なことだけでなく、主人公、融の置かれた環境と心理状態を描いておられるところに唸らされ…
ちょうど東京滞在中だったので、ホテルでニュースでは見たのだけれど、別にきちんと全編見るつもりはなかった(当方、海老蔵と聞いただけで虫酸が走るので)。昨日、羽生結弦さんの「スケート・カナダ」でのEXの演技、「パリの散歩道」をyoutubeで検索中、引…
この「乱」は『猩々 乱』の一部分。私見では能作品の中では屈指の面白さ。能は敷居が高いと思っている人にこれを見せたら、認識が変わると思う。 宗一郎師は真面目なお顔で、でも「やるぞ!」といった感じが伝わってくる勢いある舞を魅せられた。めくるめく…
片山九郎右衛門師がシテの天津神、味方玄師がツレの天女での連れ舞いがよかった。本年7月にお二人のシテ・ツレでの能『大典』の奉納があった。横浜能楽堂に請われての公演だったという。「令和」という希望に満ちた新しい御代を寿ぐのに、技量最高を誇るこの…
以下に当日のチラシの表・裏をお借りする。 薪能といえば大抵は神社、仏閣等の広大な場所に5百人かそれ以上の観客を擁してのものが多いけれど、このきらら山荘のものは、こじんまり小規模。どこかほんわかとした和やかな雰囲気が終始漂っている。 舞台は設…
お囃子、地謡方は以下の方々。 笛 森田保美 大鼓 河村 大 小鼓 吉阪一郎 太鼓 井上敬介 地謡 大江広祐 味方玄 古橋正邦 橋本忠樹 九郎右衛門師の「舞囃子」はその早舞部を切り取ったもの。改めて舞の旋回の多さに瞠目させられる。能で、こんなに頻繁にくるく…
前場と後場との舞台は変わる。前場では清水寺、後場では三井寺になる。時期は8月15日の仲秋。狂女ものだけれど、『隅田川』などとは違い、狂女は息子を探し当てることができたハッピーエンドになっている。 片山九郎右衛門師のシテは穏やかだった。住僧の制…
この日のチラシの表裏をアップしておく。演者、解説が裏に載っている。 浅井通昭師がシテを務められる曲はこれが初めて。そういえば仕舞も見ていない。まずその佇まいの端正さにうたれた。舞い、所作の的確と気品高さに感動した。詞章が恐ろしいほどグイグイ…
とても軽妙な狂言だった。甥を茂山逸平師、伯母を丸石やすし師が演じられた。 逸平師、やすし師の掛け合いがおかしい。 以下、立命館大学能学部のサイトから、あらすじをお借りする。 酒屋を営む伯母はしわいな人(けち)でありまだ甥に酒を振舞ったことがない…
仕舞はキリ部。地謡は橘保向、青木道喜、古橋正邦、河村和貴の各師。 夫に捨てられた女が、新妻と一緒の元夫の元に怨念となって現れ、陰陽師、安倍晴明があらかじめ用意しておいた身代わりの人形を責め苛むという内容のこの曲。その『鉄輪』の最も恐ろしいク…
能はいくつか見る予定にしている。修学院きらら山荘での薪能、林宗一郎師の『山姥』と片山九郎右衛門師の仕舞「砧」を楽しみにしている。京都観世会館での「京都観世能」では梅若実師の『卒都婆小町』と杉浦豊彦師の『融』を見る予定。社中会は去年素晴らし…
お若い河村浩太郎師がシテなので、面でお顔は見えないものの、どこか若々しさが漂っていてハイライト部の舞も軽やかだった。以下に「林定期能」からチラシの表裏をお借りする。 河村晴道師の解説にあったように、さすが禅竹、極めてビジュアル度の高い景色が…
五条大橋の上での弁慶と牛若丸との立廻りが軸になっている演目なので、そのダイナミズムは確かにあった。でも、河村和貴師とお嬢さんの梓姫さんとの親子競演ということで、和やかな雰囲気が漂っていた。和貴師がシテを演じられるのを初めて見たのだけれど、…
過激に力強く美しい。今までに見た『鵺』とは趣が異なっていた。林宗一郎師のサイトよりチラシを拝借する。 鵺という「異形」への畏敬と愛惜の念が謡いあげられ、舞い納められた。シテを演じられた林宗一郎師の切々とした想いが見ている者に迫ってくる、そん…
若手がうち揃った清新な舞台だった。「銕仙会」の能楽事典に、「夏も終わりが近づき、涼しい風が吹きはじめる頃。清く澄んだ御手洗川の流れは、暑い日ざしの中にあって、爽やかで涼しげな風情をたたえている。稔りの秋は、すぐそこまで近づいている…」という…
片山九郎右衛門師のシテは、さすがの見応えだった。ワクワクした。 先月に湊川神社で見た『善界』には、実際のところかなり退屈してしまった。後場になって初めてワキが登場する演出が特徴の『善界』。意表をつかれるけれど、それによってサスペンスが増すと…
大正天皇の即位式のために創られた『大典』を、故片山幽雪師が今の時代にあった『平安』に改作されたのだという。非常に美しい詞章で、しかもテーマが今の時代を生きる私たちとその平安を祈念、また寿ぐ内容になっている。 先に引用させていただいた日経デジ…
友人からとても良かったと伝え聞いた今年の「平安神宮薪能」、2年前に初めて参加した折、あまりにもの混雑と暑さだったので去年、今年は断念していた。録画をみて、かなり後悔している。 林宗一郎師のサイトにチラシの表裏がアップされていたので、お借りす…
壺齋散人さんの「日本語と日本文化 能について」というブログに、この演目の詳しい内容が載っている。リンクしておく。 以下が演者。 太郎冠者 茂山忠三郎 主人 山口耕道 すっぱ 丸石やすし 後見 増田浩紀 主人から預かった太刀を寝ている間にすっぱに抜き取…
前場からすでにドラマチック。糸車を繰る時の老女の穏やかさが、「閨を見るな!」と言い置く時には尋常ならない厳しさになる。この穏と激との対比を、橋本光史師はくっきりと際立たされて、秀逸だった。 後場は今までに見た『安達原』中、最もヴィジュアルだ…
勝部延和師、地謡方に入っておられるのは2回拝見(拝聴)したのだけれど、シテとして演じられるのを見るのは初めて。勁い謡で、しかも聴いている者の心に響く繊細さが滲み出ていた。普通の観世流のものとはちょっと違うような気がした。後で井上裕久師のお…
演者さんは以下の方々。シテも地謡もお囃子も当代トップの方々を取り揃えての贅沢な舞囃子だった。 シテ 片山九郎右衛門 地謡 河村晴道 味方玄 林本大 山田薫 笛 左鴻泰弘 小鼓 成田達志 大鼓 山本哲也 太鼓 前川光範 作者の世阿弥自ら「上花也」(『申楽談…
片山九郎右衛門師の舞台で感動しなかったことは一度もない。常にそのクオリティの高さとそしてそれを可能にする人格・品性の圧倒的高さに感動させられる。これ、決して大仰に言っているのではない。彼の舞台を一度でも見たことのある人なら、必ずや同意して…
毎年この時期に開催されている「面白能楽館」。参加するのは初めてだったけれど、今まで知らなかったのが残念。主催能楽師の方々の能を広めたいという強い想いがひしひしと伝わる企画だった。さまざまな年代の観客を、飽きさせないでとことん楽しませる工夫…
いつもの宗一郎師の舞台とは一味違っていたような。それは平清経の人となりを表現するためだったのだろう。かなり大人しめというか、抑制をいっぱいに効かせた演技で、清経の自死を選ばざるを得なかった心持ちが伝わってきた。どう言ったらいいのか、「『Loo…
結論からいうと、失望した。よく内容を確認しないまま参加した当方にも責任はあるとは思う。そもそも世阿弥の伝記映画と考えたのが間違い。あくまでも白洲正子さんの随筆をベースにした、「白洲正子の『世阿弥』」にしかすぎない。彼女のエッセイはかなり読…
この日の公演は能3本、狂言1本という過密なものだった。11時に始まり、終わったのが5時前。例会は大抵このスケジュールで、演者の方々は疲労困憊されていることと思う。実力と華で日本一の能楽師の方々を擁する京都観世会。彼らの充実した舞台を見せていた…