yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

片山九郎右衛門師の能『夕顔 山の端之出』in「京都観世会6月例会」@京都観世会館 6月26日

もちろん「夕顔」とは『源氏物語』の「夕顔」の段に登場する女性。この女性(にょしょう)はその美貌と薄命で男性の心を惹きつけて止まないのかもしれない。例によって、『銕仙会能楽事典』より、概要をお借りする。

京都 五条辺りを訪れた、旅の僧(ワキ・ワキツレ)。そのとき、一軒の茅屋の内から、歌を口ずさむ女の声が聞こえてきた。言葉をかける僧へ、声の主(前シテ)は、この茅屋こそ源氏物語に登場する“何某院”だと教える。何某院とは、光源氏が夕顔上を逢瀬に誘い出した廃墟の地。女は、そのとき物の怪に襲われて果てた夕顔上の故事を物語ると、姿を消してしまう。実は彼女こそ、夕顔上の霊であった。


その夜、一行が弔っていると、夕顔上の幽霊(後シテ)が現れた。彼女は、この廃墟を訪れた時の恐ろしさ、心細さを述懐し、そんな中で光源氏を頼み続けてきた自らの思いを述べる。救いの声を待ち続け、孤独に耐え続けてきた彼女。やがて彼女は、僧の弔いによってようやく来世への道が開かれたことを明かすと、東雲の光の中に消えてゆくのだった。

夕顔はもともと宮中において源氏の「ライバル」だった頭中将の愛人だったのが、たまたま彼女の存在に気づいた源氏によって旧源融大臣の屋敷(廃墟)に連れ出される。不運なことにその場で、嫉妬に狂った源氏の愛人、六条御息所の生き霊に呪い殺されてしまう。

紫式部が作家として巧者と感心するのは、夕顔と六条御息所をこのような形で対比させていること。このプロットだけをみると、六条は嫉妬に狂ったおぞましい女ということになる。一方、夕顔は気の毒な犠牲者になる。しかし、六条は最高の教養を身につけた、非常に高位の女性。かたや夕顔は出自自体も高くなく、教養も取り立てていうほどのこともない。しかし、そのような劣勢に置かれた夕顔は、上の者の犠牲者となることにより「悲劇の主人公」して奉られることになる。

ただ、紫式部はそういう「夕顔礼賛」の結末に「ノー!」を言っているんですよ。夕顔のあまりにもの頼りなさ、無防備さが、男に付け入れられ、挙げ句の果てにそのツケを払わされる(言い過ぎかな?)結末にしているのですから。自我なんてものは女には全く許されなかった当時、夕顔は単なる男のいいようにされる「人形」として造型されていたのでしょう。一方、なまじっか自我を持った六条は、終始自分のレゾンデートルに悩み、最終的には自我を「消滅」させることで生きてゆくしかなかった。夕顔の(身体の)死と対比させられているのは六条の(精神の)「死」なんですよね。どちらがより悲劇的か、わかりますよね。

さて、当日の演者一覧をアップさせていただく。



とはいえ、やはり夕顔は身体の死で持っても、心の安らぎは得られなかった。そこから能の「夕顔」は始まる。このような境地の夕顔の造型は非常に難しいと思われる。頼りなく意思を持たない儚げな女性は美しくはあるけれど、魅力に欠ける。それをいかに魅力的に描けるか、そこにシテの力量が試されるのだろう。

後場の夕顔は自身の「罪深さ」によって、物の怪に取り殺されたことを認識している。なぜなら、「心の水は濁江にひかれてかゝる身となれども」と述懐しているから。それでも光との愛は諦めきれない。「来ん世も深き契絶えすな契絶えすな」という地謡部に彼女の真の想いが滲んでいる。

しかし、それに続く「序の舞」では、一転、僧の法華経の回向により、解脱する喜びが、「法華経の功徳により願いのままに男子に「変性」し、迷妄を離れ悟りを開いた身になり」と表現されている。

地謡  開くる法華の 

シテ  花房も

地謡  変成男子の願のままに 解脱の衣の袖ながら

私が皮肉だと思うのは、「変成男子」の下りである。男のいうなりになって、運命を狂わせてしまった現世の自分、しかし「来世ではそうなるまい」という決意表明がなされているから。

九郎右衛門師の夕顔はこの決意表明が非常にシンプルに、かつダイレクトに伝わるものだった。前段のただただ頼りなげな、覚束なげなシテの様子、非常に華やかでありつつもそれでいてどこか儚げなシテの風情。それに比して、後場ではもっと意識的な自己主張が見られた。鮮やかな舞(序の舞)は、彼女の人としてのあり方を明確に示すものになっていた。衣装も前場の美しい華やかな衣装に比べると、シンプルで巫女を思わせるものだった。達観というか、覚悟というか、そういうものを感じさせた。彼女の「解脱」を表象していたのだろうか。

それにしても常々感じること、九郎右衛門師の舞台には心底癒される。これは理屈抜きである。舞も穏やかで品があり、それでいて退屈ではない。声も凛と客席の隅々まで通るのだけれど、押し付けがましくない。どこまでも優しく、そして凛と屹立している。見ているだけで、なにか寿がれているような、慈しんでもらっているような、そんな気分になる。

小書きの「山の端之出」というのは、シテが登場する前の幕の中から「「山の端の心も知らで行く月は上の空にて影や絶えなん」と謡う演出を指すらしい。これで、シテが遠くからやってきた雰囲気を出すのだとか。問題は幕内からの発生は、観客席にはなかなか明瞭に届かない恐れがあること。この日の九郎右衛門師の声は客席の隅々まで届いていたので、問題はなかった。

こういう小書きを選ばれることからも、九郎右衛門師の新しい挑戦への意欲が感じられた。この場に居合わせて幸運だった。また、ワキを宝生欣哉師、小鼓を大倉源次郎師だったのが、観客にとっては幸運だった。最高の舞台になったから。

この日は最初の能をスキップして(すみません!)この『夕顔』からの参加。この後、プログラム最後の能、『海士』をみた。こちらも素晴らしい舞台で感激。2本でも十分すぎる充実感。ウキウキしながら?帰途についた。

今年から予約の方法が変わり、席を予約するには、その都度セブンイレブンで席の発券をしなくてはならない。それが面倒なので、「年間予約」で固定席を1年間確保した。それが真正面席。普段は真正面は経験したことがないので、この1月から6月までの公演はどこか異次元世界を経験している感があった。お囃子の方々といやでも(向こうも厭でしょうが)目が会う。なんとなく、落ち着かない。加えて、2、3、4月は(舞台に向かって)右隣の男性が、舞台の間中寝落ちして私に寄りかかってくるのに悩まされた。後期の8月からは、可能ならば別の席にしようと考えている。