yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

片山九郎右衛門師シテの『半蔀』in 「京都観世会11月例会 第二部」@京都観世会館 11月21日

サイトに掲載されていた演者一覧、加えて演目解説が以下である。

<演者一覧>

シテ 夕顔・夕顔の霊 片山九郎右衛門

ワキ 僧             福王知登

アイ 所の者         茂山忠三郎

 

笛         杉 市和 

小鼓        成田達志

大鼓        河村 大

 

地謡    樹下千慧 大江広祐 河村和貴 田茂井廣道

      河村晴道 青木道喜 浅井文義 河村和重

後見    味方 玄 浦田保浩

 

<解説>

 紫野雲林院に住む僧が夏の間仏前に供えていた花を供養していると、どこからともなく一人の若い女が現われ、白い夕顔の花を供える。僧が女の名前を尋ねると、生前に五条辺りに住んでいた亡者であると答えて、花の陰へと消え失せる。  〈中入〉
僧は所の者から光源氏と夕顔という女の恋物語を聞き、勧めにしたがって五条辺りに弔いに出かける。そこには草の生い茂った家があり、中から女の声が聞こえてくる。僧が姿を見せるように言うと、夕顔の霊が半蔀を押し上げて昔の姿で現れる。夕顔は光源氏との馴れ初めを物語り、思い出の舞を舞う。そして明け方が近づくとまた半蔀の中へと消えてゆくのだった。 この曲は同じ主人公を配した別曲《夕顔》とは異なり、夕顔の不慮の死にはふれず、光源氏との恋の思い出に重点を置いた情緒あふれるものである。どちらかといえば、本来の「夕顔」自身というより、「夕顔」という花の精を強調した作りとなっている。夕顔の花のまつわり咲いた半蔀の奥にかすかな透影を見せた女の姿。夕闇にほのぼのと白い笑みの眉をみせる花。イメージを全面にオーバーラップさせ、人間味を限りなく消した演出は、実に素直で見やすく、ひたすら美しい。

夕顔を素材にした能にはまさにそのものの世阿弥作『夕顔』があるが、内容はかなり異なったものとなっている。間違いなく『夕顔』の方が先行していた。ネットで調べたら「能『半蔀』に思う」という金剛流の方の丁寧な解説を見つけた。リンクさせていただく。

登場された九郎右衛門師は可憐な風情。若い女の情緒たっぷりに橋がかり、そして舞台中央へと出てくる。静かな佇まいながらも、深い想いを帯びている。僧の立花供養に添えて、自分も花を手向ける。そのまま空を仰ぐなんということのない仕草にも、その想いが現れ出ている。でも決して重くはない。滑らかで抵抗感がまったくないその姿には、すでにこの世の者ではない儚さが漂っている。花の名を尋ねる僧に「夕顔」と返答する女。そしてあっけなく中入り。でもこの場に立ち会う者(観客)には、この女が『源氏物語』の中の人物だとわかる。光源氏の情けを受けたために、六条御息所の生霊に殺された女だと。ただ原作の中の惨たらしい死の苦しみは、この女には感じられない。どこまでも儚い夢のような感じ。その儚さは後場にも引き継がれる。

アイが登場、先ほどの女こそ夕顔その人だったと夕顔の物語を語る。忠三郎さんはとてもエロキューションが良く、しかも感情移入をしていないのに、女の哀れさが伝わるような語り口。しみじみと聴かせてくれた。

竹で編んだ作り物が舞台下手、お囃子方の少し前に据えられる。夕顔の家という設定。覆いがかけられている。ワキ、後シテの一声と地謡の掛け合いは『和漢朗詠集』の437が典拠らしい。この部の詞章に付記しておく。

ワキ「ありし敎へに従つて五條邊に來て見れば。げにも昔のいまし所。さながら宿りも 夕顔の。瓢箪屡々空し。草顔淵が巷に滋し」

後シテ(一声)「黎藋深く鎖せり。夕陽のざんせいあらたに。窓をうがつて去る」  

地「しうたんの泉の聲」  

シテ「雨原憲が。樞を濕す」  

下歌「さらでも袖を濕すは廬山の雪のあけぼの」

 

瓢箪屡空 草滋顔淵之巷
黎藋深鎖 雨濕原憲之樞

瓢箪しばしば空し 草顔淵が巷に滋し

黎藋深く鎖せり 雨原憲が樞を濕す

やがて後見が覆いを外すのだけれど、緊張感が漂い、それが舞台全面、客席にも伝染する。夕顔の霊が半蔀戸を押し上げて出てくる。出てきた作り物の屋根には多くの瓢箪がぶら下がっている。夕顔の花は干瓢の花、そして瓢箪は干瓢の変種だからしい。この夕顔の花が機縁で源氏と結ばれたことを示している。源氏との馴れ初めの顛末は、続くクセ部で語られることになる。

第一部では大槻文蔵師の『半蔀』を見たのだけれど、九郎右衛門師のものとは少し型が違っていたように感じたが(なによりも作り物が置かれる位置が異なっていた)、それはそのあとの「序の舞」でも同じだった。とはいうものの、舞の基調になっている静謐と優雅は共通していた。この序の舞はかなり長くて、第一部でも第二部でも居眠りする人が多かった。お囃子も極力抑えた演奏になっていたこともあるだろう。私は珍しく、眠くもならず、退屈もしないで見終えた。九郎右衛門師の舞も文蔵師の舞も、エネルギーを押さえ込んで初めて生じる情の発露が、これ以上ないほど深々と舞いこまれていたからだと思う。

 

第一部の『半蔀』は稿を改めたい。お囃子方と地謡が一部、二部共に同じメンバーだったのに驚いた。続けての演能だったので、とてもお疲れになったはず。地謡に浅井文義師が入っておられたのが、うれしかった。

 

以前ほどの厳しい制限を取っ払っているので、かなりの観客数。今まで抽選に当たらなかったり、外出を控えておられた方々がどっと繰り出したのだと思う。以前ほどのきびしい座席規制をしなくても普通にしていれば感染する可能性は極めて低いことが徐々に明らかになってきている。このまま制限なしでお願いしたい。

 

第二部でお隣に座られた上品なご婦人、なんと御歳が93歳と耳に挟み、とても驚いた。シャキッとされていて、それ以上に理路整然とした話し方、滑舌の良さに感動してしまった。『鉄輪』を演じられた浦田師のお弟子さんとのこと。大阪府から車でお越しだったよう。もう稽古はお辞めになると浦田師におっしゃったとか。とても素敵な方でした。またお会いできるといいのだけれど。