yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

浦田保親師シテの能『鉄輪 早鼓』in 「京都観世会11月例会 第二部」@京都観世会館 11月22日

まずこの『鉄輪』が使われた公演チラシの表裏をアップしておく。

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当日の演者と観世会サイトにアップされていた「解説」を以下に。

シテ  都の女   浦田保親

    女の怨霊 浦田保親

 

ワキ  安倍晴明 小林 努

    男    岡  充

アイ  社人   茂山逸平

 

笛   赤井啓三

小鼓  林吉兵衛

大鼓  石川保彦

太鼓  前川光長

 

地謡  寺澤拓海 河村浩太郎 大江泰正 梅田嘉宏

    松野浩行 浦部幸裕  吉浪嘉晃 林宗一郎

 

後見  杉浦豊彦 大江又三郎

 

<解説>

夫に見捨てられた女が恨みを晴らすため貴船明神に参ると、社人が神のお告げを伝える。赤い着物を着て顔に朱を塗り、鉄輪を頭に戴き三つの足に蝋燭を付けて火を灯せば、生きながら鬼となって恨みを晴らせる、と言うのである。するとたちまち女の髪は逆立って凄まじい姿になり、雨降り雷鳴とどろく中、わが家に駆け戻る。
                                  〈中入〉
 その夫は近頃夢見が悪く、陰陽師の安倍晴明に祈祷を頼むと、晴明は「本妻を離別し新しい妻を迎えたためである。今夜にもあなたの命が危ない」と判断し、先妻の祈りが今夜満願になるので呪いを人形(ひとかた)に転ずると言う。晴明が祈祷を始めると雷雨の中先妻の生霊が現れ、男の人形に向かって恨みを述べ、後妻の人形の髪を手に絡めて打ち叩き、男の命を取らんばかりに責め寄る。しかし守護の神々に追われて力も弱り、呪いの言葉を残して鬼となって消え失せる。

以前にYouTubeで「貴船神社『鉄輪』能」の一部を見たことがあり、その異様な雰囲気とは打って変わった舞台で、正直なところいささか拍子抜けした。でもそれは「丑の刻参り」ゆかりの地、貴船神社がその夜の舞台だったのだから、禍々しさは放っておいても醸し出されたということだった。能はこのシテの纏う禍々しさを一旦捨象、エッセンスのみを象徴的に描いているのだから、舞台から泥臭さを極力排しているのは、当然のことだと納得。大仰な演出をしなくても、エッセンスは伝わるはずである。

だから、前場と後場とのギャップもさほど強烈ではない。ただ、女の怒りと嫉妬の念の強さはずっと通奏低音として流れている。それを浦田師は女に寄り添う形で演じられた。「理の通じないおぞましい女」というより、悲しい女として描かれていたように感じた。もちろん後場の演技の凄まじさ、とくに舞台前面に置かれた祭壇にかけられた(男の新妻の)黒髪を手に絡ませ散々に打ち据える場面は鬼気迫っているけれど、それが外に危害を与えるほどの凄まじさではない。だから、晴明の逆襲に負けてしまう。当方も同じ女の身だからだろうけれど、恨み言を撒き散らしながら退散する鬼女の方に、同情してしまった。元凶は不実な夫の方であるのに、怨霊となって祟ることを陰陽道によって断たれてしまった女の後ろ姿が悲しかった。浦田師はこの女の想いに寄り添う感じがした。お優しい人柄が偲ばれた。