仕舞はキリ部。地謡は橘保向、青木道喜、古橋正邦、河村和貴の各師。
夫に捨てられた女が、新妻と一緒の元夫の元に怨念となって現れ、陰陽師、安倍晴明があらかじめ用意しておいた身代わりの人形を責め苛むという内容のこの曲。その『鉄輪』の最も恐ろしいクライマックス部。シテ鬼女の激情に打ちのめされる。それを美しく、しかも説得力を持って舞うという仕業。いかほど大変なことかがわかる舞台だった。もちろんフルの能としていつかは見たいと思っているけれど、この短いキリ部だけでもこちらの心を揺さぶり倒すので、満腹感がすごい。さすが九郎右衛門師、一糸乱れない所作の美しさだった。
何回となくおせわになっている宝生流の能本のサイトから、詞章のキリ部をお借りする。ありがとうございます。
恐ろしや御幣に
三十番神ましまして
魍魎鬼神は穢らはしや
出でよ出でよと責め給ふぞや腹立や思ふ夫をば
取らであまさへ神々の
責を蒙る悪鬼の神通通力自在の勢絶えて力もたよたよと
足弱車の 廻り逢ふべき時節を待つべしや
まづこの度は帰るべしと。
いふ声ばかりはさだかに聞えていふ声ばかり聞えて
姿は目に見えぬ鬼とぞなりにける目に見えぬ鬼となりにけり
情念のほとばしりがダイレクトに感じられる箇所がいくつかある。「責を蒙る悪鬼の神通通力自在の勢絶えて」のところで爪先立ちで両手を頭の後ろへ回し、次の「力もたよたよと」で手を下ろして、座り込んだあと、さっと立つ。「足弱車の 廻り逢ふべき」で後ろを向いて座位、そしてくるりと前へ立て膝で戻り 座り込む。「時節を待つべしや」で顔を横に向け、さっと立つ。
それに続く退場までの素早くも激しい動きが圧巻である。
激しい嫉妬、恨みが舞台一面を覆うというのは、能『葵上』も同様。ただ、シテの六条御息所によりも生霊を調伏しようとする僧の方に観客の心情が同調する『葵上』に対し、この『鉄輪』を見る観客の心情は鬼女の方に同調してしまう。再来を誓って消えて行く鬼女に、エールを送っていたりする。それは私が女だからかどうか。こういう余韻を残す終わり方は、非常に面白いと思う。