yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

能『玄象』in「京都観世会九月例会」@京都観世会館 9月24日

当日の演者一覧は以下。登場人物が多かった。

前シテ 尉      浦田保親

後シテ 村上天皇の霊 浦田保親

前ツレ 姥      寺沢拓海

後ツレ 龍神     河村和晃

ツレ  藤原師長   味方 團

ワキ  従者     有松遼一

ワキツレ従者     岡 充

アイ  下人     小西玲央

 

後見  片山伸吾

    大江信行 

 

小鼓  曽和鼓堂

大鼓  山本寿弥

笛   杉信太朗

太鼓  前川光範

『玄象』の概要を銕仙会の『能楽事典』からお借りする。以下である。

琵琶の名人・藤原師長(ツレ)は、日本での名声に飽き足らず、唐土への旅を思い立つ。その途上、須磨浦に到った一行は、塩焼きの老人(前シテ)と姥(前ツレ)に宿を借りると、夜もすがら琵琶を披露して聴かせる。しかしそこへ夜雨が降りはじめ、雨音の障りを思った彼は手を止めてしまう。そのとき老人は、庵の板屋根の上に苫を葺いて雨音を穏やかにし、琵琶と同じ音色にすることで、演奏の障りとならぬようにした。師長は、音楽への深い洞察をもつ老人に感服し、琵琶を貸し与えて演奏を勧めると、自らの慢心を恥じて庵を抜け出そうとする。引き留める二人。実は二人こそ、彼の出国を思い留まらせるべく仮に現れた、琵琶の名器」「玄象」のもとの持ち主、村上天皇と梨壺女御の尊霊であった。

やがて、真の姿を現した村上天皇(後シテ)。天皇は、かつて龍宮に奪われた琵琶の名器「獅子丸」を取り戻すべく、海底の龍神(後ツレ)を召す。龍神から名器を授けられた師長は、龍神たちとともに秘曲の数々を奏でると、都へ帰ってゆくのだった。

構成の完成度の高さは言うに及ばず、中に散りばめられたアリュージョンが豊富な作品である。登場人物の多さとその多様さ、また意趣に富んだ展開の面白さは、どちらかというと西洋演劇的な感じがした。終始、ワクワクしながら見入ってしまった。

恥ずかしいことに、チラシの「解説」を一読しただけで能の舞台に立ち会ったのだけれど、途中から、常の「能」ではない感触がして、心がざわついた。謡本を持っていないので、謡とセリフとのどの箇所にそれを掻き立てるものがあるのか、その場では確認できなかったのが残念だった。でも、沸きたつ高揚感はずっと続いた。

まず、シテを演じられた浦田保親師の多彩な表現力に感服した。最初の尉では低い重々しい発声で、のちの村上天皇の霊では奥行きのある美声で、高貴さを醸し出しておられた。とくに最終の「早舞」は師ならではの機敏でシャープな舞、ダイナミックな所作が映える場面だった。

嫗役の寺沢拓海師は天皇の女御という高貴な女性の麗しさを的確に演じられていた。また、龍神役の河村和晃師も最後の急早鼓に乗せての雄壮な立ち回りを完璧に演じられていた。謡も迫力満点なんですよね。

味方團師は貴公子の役柄がこれ以上ないほどぴったりだった。シテ浦田師の村上天皇の霊が袖に手をかけるところは一幅の絵になっていた。この場面、なんども甦ってきた。

若い方々のうち揃ったお囃子はいつもに増して迫力満点。とくに、お父上の代理で出られた山本寿弥師の力強い、若い大鼓の音に圧倒された。

帰宅してからネットで詞章を入手して、舞台を見ているときの「どこかで見聞した」感が何処から来るのかが分かった。「生田」、「湊川」「逢坂」と言った地名がそれだし、中でも「須磨」、「明石」だったんですよね。もちろんそれは光源氏が流された地。その後も様々な歌人が引用してきた場所だった。それらの歌の堆積がどっとせまってくる。そこにさらに覆いかぶさるように、あの『融』の「千賀の塩竈」が謡い込まれている。そのような地名が醸し出す能の舞台の数々。能のパノラマ。

私が舞台を見ているときに感じたモヤモヤの正体が詞章を読んで分かった。由井恭子氏の論文、「『平家物語』における平経正と青山の琵琶説話考」*1がそのモヤモヤを明かしてくれた。

『平家物語』の「延慶本」の中に琵琶「青山」をめぐる平経正説話が記されているとのこと。私は「覚一本」の方はアメリカの大学院博士課程でのComprehensive Exam(通称Comp ) 受験準備の際に一応目を通したけれど、「延慶本」は読んでいない。「延慶本」は説話的な要素がより強いと聞いていたので、琵琶「青山」をめぐる物語はその辺りを描いているのかもしれない。

由井氏が説話を整理されたところによると、村上天皇が天人から授けられた琵琶、「青山」は仁和寺に伝わり、やがて琵琶の名手だった平経正に貸し出される。しかし源氏との戦いに加わることになった経正は、青山を仁和寺に返却するのである。これ、まさに能『経正』の内容そのもの。

9月にあった能の発表会で私は「経正」の素謡を謡わせていただいた。演芸に秀でていた琵琶の天才、平家と共に滅んだ貴公子をたとえ20分でも演じられたのは(出来は置いておくとして)得難い経験だった。そして、今回の能『玄象』の舞台は、その体験をより豊かにしてくれたような、そんな気がしている。

*1:大正大学研究紀要」104号