yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

沈潜した嘆きのさまが見事だった杉浦豊彦師シテの能『景清』in「杉浦元三郎七回忌追善能」@京都観世会館1 月19日

追善公演ということもあり、非常に盛り沢山というか、見応えのある能の舞台だった。能は『景清』、『道成寺』の二本、あと素囃子と舞囃子が一本ずつ、三本の仕舞、そして狂言、『二千石』。連吟「当麻」、仕舞「天鼓」は遅刻して見逃してしまった。

まず能の一本目、主催者の杉浦豊彦師がシテをされた『景清』は重い。人生終焉時にどう自身の過去と向き合うのかという問いを投げかけているから。作者は観世元雅とされているらしいけれど、いかにも彼らしいテーマだし、その結末にも納得がゆく。それにしても、これが元雅作だとすれば、若年にしてここまでの諦観を描きだすということに、ただ脱帽である。天才的な能作者、演者であるにもかかわらず、父世阿弥とともに不運な境涯に置かれ、三十代半ばで伊勢に客死したと伝えられている。

以下に例によって銕仙会の『能楽事典』からの概要をお借りする。加えて演者一覧を掲げておく。

概要

鎌倉時代初頭。九州に流された平家の侍 景清を訪ねて、娘の人丸(ツレ)が従者(トモ)を連れて日向を訪れる。それと知らず景清の庵を訪れた二人であったが、景清(シテ)は自らの正体を隠し、「景清のことはよく知らない」と言って二人を帰す。次いで里人(ワキ)に景清の在所を尋ねた二人は、先程の人物こそ景清だと教えられ、再度景清の庵を訪れる。里人は人丸を景清に引き合わせるが、景清は今の境遇を嘆き、自分が名乗らなかったのは人丸の世間体を守るためだったと明かす。景清は所望されるままに、屋島の合戦での武勇を誇らしげに語るが、やがて我にかえり、今の身を恥じる。親子は別れの言葉を交わすと、人丸は、景清に見送られながら、宮崎の地をあとにするのだった。

 

シテ 悪七兵衛景清  杉浦豊彦

ツレ 景清の娘人丸  林宗一郎

トモ 人丸の従者   片山伸吾 

ワキ 宮崎の里人   福王知登

 

小鼓  林吉兵衛

大鼓  谷口正壽

笛   森田保美

 

後見  観世清和  井上裕久  吉井基晴

 

地謡  大江信行   宮本茂樹   大江広祐  出本勝範

    味方 玄   味方團    浦田保浩  片山九郎右衛門 

悲劇が「静かに」全編を覆っている。それを杉浦師は過剰な思い入れなしで演じられた。作り物の幕が取り払われ、そこに現れた景清は、庵室に跪いて、ひたすら惨めな我が身に沈潜している。往時の栄光は何処に。今や老いさらばえ、盲目の琵琶法師。盲目の目から落ちる涙の哀れさ。「悪七兵衛」とまで呼ばれた勇猛果敢な武者ぶりの面影はもはやない。

しかし、あくまでも父の名乗りをしないところに、彼の矜持とともに、娘への贖罪の念が窺えるように思う。その娘に語り聞かせる過去の武勇伝。そこに、自分への同情、憐憫を断ち切って、前に進んで欲しいという祈りのようなものも感じられる。さすがその勇猛ぶりをうたわれた勇者、その姿には華やかな武勇を偲ばせる格の高さが自ずと滲み出ている。そんな景清を、杉浦豊彦師は折り目正しく演じられた。折り目正しいがゆえに、悲しみは増幅して伝わってくる。豊彦師の声はさすが片山一門、奥行きのある素晴らしいもの。

深い悲しみに沈むシテ。それを感じてツレ役の人丸がそっと手を添える。その優しさに、心が和む。この優しさがさりげなく示されるサマはさすが宗一郎師。そういえば、最初宗一郎師とは気づかず、綺麗な足さばきの方だと見いっていた。プログラムで確認して、「やっぱり!」と納得。トモ役の片山伸吾師も自然体に寄り添っていてよかった。また、ワキの福王知登師も常以上に存在が大きく感じられた。

以下にチラシの裏をアップしておく。なお裏面の演者一覧には演者の詳しい明記は省かれている。詳しいプログラムは当日受付で配布されていた。

 

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そういえば、フルの能で「景清」を見るのは初めてだった。歌舞伎では「歌舞伎十八番」に入っているほど有名な演目で、なんどもみて当ブログ記事にもしている。英雄として描出される歌舞伎版、それに対して救いのない悲劇的な人物として描き出す能の「景清」。描き方がこれほど違うのは意外でもある。