yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

杉浦豊彦師シテの能『蝉丸』in「京都観世会12月例会」@京都観世会館12月19日

昨年の京都観世会例会最後の公演。今頃になっての投稿。12月は少々鬱気味で、あまり筆が進まず自分でも自分を持て余し気味だった。

12月公演、例年混むのがわかっていたので、11時開演の50分前には会館に到着。正面席はほぼ埋まっていたものの、中正面はさほどではなくお気に入りの席に着席できた。3年前の12月は二階席を余儀なくされた。京都観世会館の席はスロープ状になっていて、どこからも非常に見やすい。でも二階席となるとかなり印象が異なってしまうので、どうしても一階席を確保したかった。

2本目の『蝉丸』はずっと見たいと念願してきた曲。また最後の『鉢木』は片山九郎右衛門師がシテなので、外せない。しかし能3本を見るのは昨年腰を痛めたので、またあの状態になるのが恐怖である。ということで、最後3本目の『鉢木』は断念した。惜しかったけれど、恐怖には勝てない。

『蝉丸』は念願しただけのことはある舞台だった。演者は以下。

シテ   逆髪  杉浦豊彦

シテツレ 蝉丸  味方 團

ワキ   清貫  有松遼一

ワキツレ 輿舁  椙元正樹

     輿舁  岡  充

アイ 博雅三位  茂山 茂

 

大鼓       石井保彦

小鼓       曽和鼓堂

笛        森田保美

 

後見       井上裕久 

         橋本光史 

地謡   寺沢拓海 大江泰正 梅田嘉宏 吉田篤史        

     浦部幸裕 浦田保親 浦田保浩 越賀隆之

概要は『銕仙会能楽事典』からお借りする。以下。

延喜帝の御代、盲目の身と生まれた皇子・蝉丸(ツレ)は逢坂山に捨てられることとなった。供をする廷臣の清貫(ワキ)は蝉丸を出家させて蓑・笠・杖を与えると、泣く泣く彼を残して帰る。その後、博雅の三位(間狂言)の世話で蝉丸は庵に住むこととなる。

 

その頃、蝉丸の姉の皇女、逆髪(シテ)は狂乱のあまり髪が逆立つ異様な姿で物狂いとなり都をさまよい出て、逢坂へとやって来た。そこで逆髪は弟・蝉丸との思わぬ再会を喜ぶが、やがては別れゆくのが人間の運命。旅立つ逆髪と留まる蝉丸とは、今生の別れを惜しむのであった。

「貴種流離譚」の一つだろう。蝉丸にしても逆髪にしても皇子、皇女という高い身分の生まれにもかかわらず、天皇家を追われ流浪することになる。最初にこの内容を聞いた時、二人の境涯の悲惨さに胸塞がれた。同時にそこに人間存在がその身分の高低に関わらず抱え込んでいる不条理に思い至った。身分が高い分、そして結末が救いようのない分、不条理は際立つ。まるでわざとそういう設定にしなくてならなかった、そういう必然を持ってきたというところに、能の深さを思う。不思議と彼らが堕ちた底辺に、突き抜けた美、神聖とでもいうべき美を感じてしまう。立ち上がってくるのは一種の宗教性でもある。

研究者の関心も高かったようである。というのも、この作品はあの『鵺』や『善知鳥』に通じる高貴と卑賤との出会い、そこに立ち上がる時間・空間を超越する何かを感じさせるものだからではないだろうか。色々な解釈をしたくなる作品と言えるだろう。

味方團師の蝉丸は高貴さが身体全体から漂っていた。また若さと純さを感じさせた。そのうら若さで法衣に替え、ワキ(清貫)が渡した蓑、笠、杖を持つところは、そして、「琵琶を抱きて杖を持ち臥し転びてぞ泣き給ふ」ところの悲惨さは涙を誘う。そのあと作り物の小屋に入るのだけれど、その佇まいも清らかでありつつ、しっかりとした存在感がある。

姉の逆髪を演じられた杉浦豊彦師は自身の髪が立った姿を水鏡に映して嘆くところが胸を打つ。

「今や引くらん望月の 駒の歩も近づくか 水も走井の影見れば 我ながら浅ましや 髪は蓬を戴き黛も乱れ黒みて 実に逆髪の影映る 水を鏡とゆふ波の現なの我が姿や」の場面である。『井筒』でもシテが井戸の水に映る自身を見るところがあるけれど、精神分析学的解釈を施してしまうのが私の悪い癖である。逆髪の水に映った姿はそのまま弟蝉丸のダブルなのだろう。

お互いの境涯を嘆きつつ、別れてゆくところは悲惨である。しかし、二人の達観を示してもいて、その旅が極楽浄土への旅であるかのようにも思わせる。杉浦師、味方師、お二人ともに、ここは感傷を排して、どちらかというとさらりと演じておられたように思う。