yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

深野貴彦師シテの『花筐』in 「浦田保利十七忌追善公演」@京都観世会館 12月20日

以下は公演チラシの裏である。

改めて、『花筐』の演者一覧を抜き出しておく。

照日の前  深野貴彦

侍女    樹下千慧

王     樹下應介

官人    福王知登

従者    廣谷和夫

輿舁    喜多雅人

輿舁    中村宜成

 

笛     左鴻泰弘

小鼓    吉阪一郎

大鼓    谷口正壽

 

後見    杉浦豊彦 深野新次郎

地謡    浦田保浩 林喜右衛門 味方團 河村和貴

      大江泰正 大江広祐 河村浩太郎 山崎浩之

シテの深野貴彦師は40代、ツレの樹下千慧師は30代、さらにはワキの福王知登師も40代という若い三人の共演である。若々しい舞台となっていた。

『花筐』自体が悲劇でないことも、舞台を華やかな雰囲気に包むことに成功した理由かもしれない。とくに印象的だったのはシテとツレとの、「玉章を附けし南の都路に」から始まり「大和はいずく白雲の」へと続く長い連吟である。声の高低を合わせるのはかなり難しいと思われるけれど、お二人は調子にいささかの乱れもなく、調和した美しい連吟を聞かせてくださった。聴きほれた。

この部分はシテが即位した継体天皇に会うべく、越前味真野(現福井県越前市)からツレを連れて長い旅路をかけている途中という設定である。シテの天皇への恋慕が基調になっているのだけれど、そこには果たして会うことができるのか、また会ってもらえるのかという不安が強く滲み出ている。

ここに謳われている「高間の山」は現在の葛城山ということで、ネットで検索をかけてみた。なんと、『花筐』の詞章には引用元があったことがわかった。「よそにのみ 見てややみなん 葛城の 高間の山の 峰の白雲(自分には縁のない人として思いやるだけでこの恋は終わってしまうのだろうか。葛城の高間の山の峰にかかる白雲をはるかに眺めるように)」という『新古今集』中の詠み人知らずの歌である。越前からずっと南下、遠くに高間山(葛城連峰で最も高い山)を見ながら琵琶湖を経て味真野に行く行程の途中だったのである。遥か彼方に見える高間山を仰ぎ、この歌と自身との境涯を重ねているのである。味真野にいた頃は側近くに仕え、慣れ親しんだ人、その人はもう手の届かない雲上人になってしまった。「花筐」のみを残して。シテ照日の前の心情を思うと、切ない。

『花筐』を社中発表会の「素謡」で謡ったのは昨年の2月だった。その半年前の会(年に2回の発表会があります)の課題曲は『東北』だったので、無鉄砲な飛躍だった。難しくて、稽古の度に「到底無理」と打ちのめされていた。実際の舞台をみたら、少しは助けになるかもと思い、11月に桜井市池ノ内にある「玉穂宮」を訪ねた。遠くに見える山の麓にそれはあるらしく、周りには人家もなく、ただ田圃が広がるところだった。

ともあれ、『花筐』の後半はドラマチックというか、起伏に富んだドラマが展開する。旅の間に身につけていた衣服は汚れ、見窄らしくなっていたに違いない。乞食と間違えられ、追い立てられるところの臣下たちとの掛け合いも、その後花筐を証拠として見せることで急転直下、かっての側女だったと天皇が認め、再び近くに使えることができるようになるという、この展開は見事である。

シテ、ツレのお二人の息のあった流れるような動きが、ドラマチックで躍動感溢れる、それでいて品格のあるこの舞台を可能にしたのだと感じた。