京都観世会館1月例会の『翁』は、毎年脇能との組み合わせである。これが正統の方式。本年の脇能は『難波』。2020年は『養老』、2021年は『鶴亀』だった。ちなみに、2020年の『翁』シテは本年と同じく観世清和師、2021年の『翁』シテは片山九郎右衛門師だった。それぞれ当ブログ記事にしているので、リンクしておく。また、林宗一郎師シテの2020年2月の『翁』についての記事もリンクしておく。
脇能とは『翁』に続けて演じられる神をシテとする曲である。『翁』の演者は『翁』が終わった後もそのまま舞台に残り、続けて脇能になる。最初見たときは、その物々しさというか型破りの造型に仰天した。
演者、解説一覧はチラシ裏面をそのままアップさせていただく。
シテは一昨年と同じ観世流家元の観世清和師。ただし、箱持、三番三、千載は異なっていた。今年の三番三は(観世流では「三番叟」ではなくこちらを用いる)茂山逸平師が務められた。逸平師の三番三は非常にダイナミックで迫力満点だった。神的空間に割り入ったトリックスター。神の静謐な空間に土俗的な「祓い」を担うトリックスターが乱入したかのような感がある。上下の跳躍、回転、そして手にした鈴を鳴らしながら舞台の隅々まで祓い清めるような所作。三番三が後半で顔につける黒式尉面にも神と俗との混淆があるように感じた。
世阿弥以前の能楽形成期には呪師と猿楽が組んで「追儺」をするというパフォーマンスがあったという。この辺りのことは松岡心平氏の論考「翁芸の誕生」(『能を読む 1』に収録。角川学芸出版、2013)に詳しい。この論考の結論部を引用させていただく。
今まで翁の荒神性を明らかにしてきたが、「翁の発生」について述べるためには、天台宗の常行堂修正会並びに荒神の一種摩多羅神の考察が不可欠である。<略>天台系寺院では阿弥陀仏を主尊とする常行堂の後戸*1に、強力な霊威をもち、場合によってはその名を口に出すのもはばかられるような秘神「摩多羅神」が祀られていて、その修正会では、堂僧自らが猿楽わざを行って摩多羅神を慰撫していた。多武峰の場合には、翁芸が早くに成立していた可能性も強い。
「翁」は能が能として「成立」する以前に流入してきた様々な芸能(寺社由来のものや呪術から派生したものも含めて)の集合体的な面があるようである。
三番三が退場したら、直ちに『難波』の舞台になった。この舞台転換は何度見ても面白い。『翁』を神能を組み合わせるというところにも、意味があるのだろう。さて、この『難波」、シテツレが前場と後場で替わっていた。シテとツレの演者は以下である。
前シテ(老翁) 片山伸吾
後シテ(王仁) 片山伸吾
前ツレ(若い男) 樹下千慧
後ツレ(木華開耶姫)河村浩太郎
あらすじを『the能.com』よりお借りする。
時の帝に仕える臣下が熊野で年越しをし、都に帰る途中、難波の地に立ち寄りました。臣下は、そこで老翁と若者(男または女)に出会います。立派な花の咲く梅の木蔭を掃き清める姿を見て臣下は、その梅は名木かとたずねました。すると老翁は、難波の里に来て、素晴らしい花を咲かせる梅を見て、名木かとたずねるのは、いかにも風雅の心のない、無粋なことだと答え、「難波の梅」が歌に詠まれたことなどを挙げていきます。
臣下は、名木か、などとたずねたことは愚かだったと認めた上で、「難波津に咲くやこの花冬籠り今は春べと咲くやこの花」の歌の心をたずねました。老翁は、この歌が仁徳天皇を梅に喩えて詠まれたことを伝え、仁徳天皇の治政を讃え、梅に来る鶯を扱った「春鶯傳」の舞楽を奏でようと言います。そして若者は梅の精、老翁は百済国から来た王仁だと明かしました。王仁はまた「難波津に咲くやこの花……」の歌を詠んだことを告げ知らせ、夜に再来することを約束して消えていきました。
そのうちに梅の精が現れて、王仁と仁徳天皇の関わりを語り、舞楽演奏の準備のため、太鼓を舞台に据え、自分も笛を吹いて舞を舞ってから退きます。
夜半、臣下が梅の木の下で夢うつつとなっているところに、王仁の霊と木華咲耶姫が現れました。木華咲耶姫が舞を舞った後、王仁が舞い、さらに数々の舞楽を奏します。さらに王仁は、このような音楽に引かれて、天下を泰平に導く聖人が現れるであろうと告げ、御代を寿ぐのでした。
片山伸吾師の後シテの舞は教養人、王仁の風格と気品があった。後シテ、木華開耶姫の河村浩太郎師もそれに競って見合う優雅さだった。そして、何よりも嬉しかったのは、新春早々に前川光範師の太鼓が聴けたことだった。邪鬼を祓うかのようなダイナミックな演奏だった!
それにしても難波の代名詞、「さくやこのはな」は王仁の歌由来だったんですね。「華」が詞の花束となって作られた曲。華やかさと同時に異国情緒的ミステリアスな雰囲気が立ちのぼった。民俗色調の濃い「翁」のあとにこの神秘的色調の曲が組み合わされるというところに、能楽の歴史とその洗練の深まりを感じた。
*1:「後戸」の考察については服部幸雄氏がその著作『宿神論 日本芸能民信仰の研究』(岩波書店 2009)で宿神議論の端緒を開かれた。