能『翁』を模倣した文楽の「三番叟」。翁が出てくる形で見るのはおそらく初めて。能の『翁』の形式をかなり踏襲していた。ただ、白式尉をつけて舞う翁の舞、黒式尉を付けて舞う三番叟の舞は省かれていた。さらに、抽象的な能の詞は、主要神社と祀られている神々を賀ぐ詞に概ね変えられていた。こちらの文楽版詞では歌い込まれた具体的な神社やご神体を観客が思い浮かべることができて、舞台をより身近に感じられるかもしれない。ただ、舞台があくまでも「非日常空間」であるという点では、能版も文楽版も共通していた。
神さまを寿ぐ儀式性の高い舞台。それは文楽の「寿式三番叟」でも同じ。文楽なので太夫の語りには三味線が付くが、能と同じく笛、小鼓、大鼓、太鼓のお囃子の下座演奏が付いていた。
タイトルの「寿式三番叟」については、高木秀樹氏が解説しておられるのが参考になる。
このタイトルは「寿」と「式三番叟」が合わさったもの。「寿式」ではない。
「寿」つまり、「おめでたい式三番叟」という意味。この「式」が大切で、儀式性があることを示す。能楽でも特別なものとされる『翁』を移したもので天下泰平・国土安穏の祈りが込めて舞われる。そうしたことから、特別な行事以外は、年のはじめの正月公演で上演されるのがほとんど。
翁の大切な文章を上げてみよう。「万代の池の亀は甲に三極を戴いたり…」。“三極”とは天地人のこと。万年も生きる亀は天地人の調和の元に成り立っている…。
「滝の水麗々と落ちて夜の月あざやかに浮かんだり…」。そうした調和のとれた世界の元で水に月が映る…。水面に月が映るということは、水に波風が立っていない穏やかな状態で、世の中も平穏無事ということ。
「渚の砂さくさくとして、あしたの日の色を弄す。天下泰平、国土安穏の今日のご祈祷なり…」。わたくしが願うことは国土安穏・天下泰平、これがすべてである…。
そしてこのあと、長久円満・息災延命の祈りも加わり翁の舞は終わる。こうした儀式性のある翁の舞が終わると、そのあとは開放感があり躍動的な三番叟のくだりとなる。翁が“神の領域”とすれば、三番叟は“人間”を現すのだろう。五穀豊穣・子孫繁栄などの願いを込めた三番叟の賑やかな舞の内、お披きとなる。
また、(能の)「式三番」という名称についてWikiには次のように開設されている。
元々「式三番」という名称は、例式の 3番の演目という意味で、「父尉」「翁」「三番猿楽」の 3演目を指すものであり(略)「三番叟」は 3番目の演目で、呪師に代って猿楽師が演じ、「三番猿楽」と呼ばれ、「三番三」とも呼ばれる。
先日の「京都観世会例会」での茂山逸平師のダイナミックな三番叟の踊りに圧倒され、感服させられたところだけれど、それをまた文楽版で見ることができて、幸運だった。
三番叟の舞は、揉ノ段と鈴ノ段に分かれる。前半の揉ノ段は、面を付けず、足拍子を力強く踏み、軽快・活発に舞う。後半の鈴ノ段は、黒式尉を付け、鈴
を振りながら、荘重かつ飄逸に舞う。
正月を寿ぐのにふさわしいこの日の文楽「三番叟」。配役表(チラシ裏)を劇場サイトからお借りする。
呂勢さんの翁はさすがに品格があった。能では各流派のトップ、あるいは準トップ級の能楽師が演じられる。今の文楽ではやはり実力と実績で彼がもっともふさわしいだろう。千載をこれまた実力・実績でトップの靖太夫さんが、また三番叟を若手実力派の亘太夫さんが担当されたのは、これ以上ない人選!
また、三番叟を担当された人形遣いのお二人、玉勢さん、蓑紫郎さんのアクロバッティックなかつひょうきんな舞いにはワクワクした。人形の身体のありとあらゆる部分を最大限に使ってのコミカルな所作に、目が釘付けになった。上の解説にあるように揉ノ段の軽快・活発な舞いと、鈴ノ段の鈴を振りつつの荘重な舞いはメリハリの付け方が非常に難しいはず。しかも二人が揃っていなくてはならない。微妙にずらして笑いを取り、はたまた疲れてサボる相方を打つ仕草で笑いを取る。
今月3日に京橋劇場で劇団花吹雪の「寿式三番叟」を見たばかりであるけれど、まさにこれは文楽版を採った、そしてそれに歌舞伎の「廓三番叟」を組み入れたものだと気付いた。大衆演劇の劇団も正月は「三番叟」を見せるのが習いになっているのだけれど、このパターンが多かったように思う。その場合、三番叟役が(文楽の)二人よりもずっと増えて、若手役者が揃って踊る。激しい踊りについてゆけない者がサボる(ふりをする)のを、座長級の役者が促すというのもよく似ている。観客を楽しませる工夫だろう。衣装も文楽のものを模したものである。
この日の文楽劇場の観客は、昨今のコロナ禍に加えての低気温にもかかわらず、そこそこの入りだった。「正月は三番叟を見ないと」という人が多かったのかもしれない。