昨年の1月例会の『翁』は観世流宗家の観世清和師が翁、千載は大江広祐師、三番三は茂山茂師のお三方。小鼓の頭取は大倉源次郎師、大鼓、石井保彦師、笛、森田保美師、太鼓、前川光範師だった。このブログ記事にしている。
さて本年の『翁」、まず演者一覧を。
翁 片山九郎右衛門
面箱持 茂山虎真
千載 片山峻佑
三番三 茂山千之丞
笛 左鴻康弘
小鼓 林吉兵衛
林 大和
林 大輝
大鼓 谷口正壽
太鼓 井上敬介
後見 青木道喜
大江信行
地謡 河村浩太郎 河村和貴 橋本忠樹 浦部幸裕
浅井通昭 古橋正邦 河村和重 河村博重
狂言後見 茂山千五郎
井口竜也
昨年の記事では省略していた舞台の流れ次第を「銕仙会」能楽事典よりお借りする。
舞台の流れ
1 演者一同が登場します
御神体である翁面を納めた「面箱」を捧げ持つ面箱持(狂言方)を先頭に、出演者全員が舞台へと進みます。神事の主宰者である大夫(シテ)は舞台正面に進み出て深々と礼をしたのち定座につき、大夫のもとに面箱が据えられます。面箱持が翁面の封を解いて大夫の前に安置すると、出演者全員が定座へ進みます。
2 大夫は、総祈願の謡を謡います
定座についた笛は清々しい旋律を吹いて神事の開始を知らせ、次いで三丁の小鼓が爽やかに鼓を打ちはじめます。大夫は翁面の前に坐したまま「とうとうたらりたらりら…」という神聖な呪文を唱えると、神事冒頭の総祈願として、国土の長久と人々の安寧を祈る謡を謡います。
3 千歳が舞を舞って座を清めます(〔千歳ノ舞〕)
大夫による総祈願の謡が終わると、露払いの役である千歳(ツレ)が舞台中央へと進み出ます。千歳は謡を謡って世界の永遠性を讃えると、笛・小鼓の演奏に合わせて軽やかに大地を踏み鎮めつつ颯爽と舞い、御神体である翁面の動座に先立って座を清めます。
4 大夫は面をかけ、御祈祷の謡を謡って祝福の舞を舞います(〔翁ノ舞〕)
千歳の舞が終わると、御神体である白い翁面「白式尉(はくしきじょう)」をかけた大夫が舞台中央へと進み出、天下泰平を願う御祈祷の言葉を高らかに唱えます。
その後、笛と小鼓とが奏される中、大夫は舞台の隅々を踏み固め、袖を翻して荘重厳粛な舞を舞い、安寧への祈りと喜びを体現します。
5 大夫・千歳は退場します(翁帰リ)
舞い終えた大夫は面をはずし、翁面を面箱の内へと奉安します。その後、大夫は再び舞台正面に進み出て深々と礼をすると、小鼓の演奏に見送られつつ退場します。続いて千歳も退場します。
6 三番三が舞を舞って座を清めます(〔揉之段(もみのだん)〕)
やがて、笛・小鼓に加えて大鼓も演奏に加わり、それまで後方に控えていた三番叟(狂言方)が颯爽と本舞台へ進み出ます。三番叟は、笛・小鼓・大鼓の演奏に合わせて大地を踏み鎮めつつ躍動的な舞を舞い、翁面の再度の動座に先立って改めて座を清めます。
7 三番叟は面をかけ、祝福の舞を舞います(〔鈴之段〕)。
その後、御神体である黒い翁面「黒式尉(こくしきじょう)」をかけた三番叟は、面箱持との問答ののち、舞に用いるための鈴を受け取ります。三番叟は高らかに鈴の音を響かせつつ、笛・小鼓・大鼓の演奏に合わせて祝福の舞を舞います。
8 演者一同が退場します。(終)
舞い終えた三番叟は面をはずし、翁面と鈴とを面箱の内に奉安します。その後、三番叟は退場し、次いで出演者一同が退場します。
但し、この直後に引き続いて能が演じられる場合、囃子方や地謡は舞台に残り、そのまま能を始めます。この形式を「翁附(おきなつき)」といい、きわめて祝言性の高い、儀式的な演出となります。
『翁』は極めて儀式性の高い能であり、能の原型をとどめているという。現在演じられている能とはかなり異なった様式で、地謡方が終始お囃子方の背後に全員控えるというのも異次元空間的雰囲気を醸し出している。翁役の「大夫」には厳しい掟というか、守らなければならない戒律があって、身を清めた上で舞台に臨むとか。昨年の記事にも書いたように、しめ縄がぐるりと上部を囲む舞台そのものが、神の憑代となる場として設営されている。また、大夫が客席に向かってお辞儀をするというのも、おそらくは神への拝礼なのだろう。
舞台で翁面を装着するというのも、古い形を遺していると同時に、人から神への変身を具象化しているものだろう。しかも翁役の大夫と千載が退場後、三番三も尉面をかけるのは、役割が交代したことを示している?翁の面が白式尉なのに対して、三番三がかけるのは黒式尉。より位の高い翁が国の安寧を祈念したあと、次は民自身が国の弥栄を祈るという形なのだろうか。白・黒の対比が興味深い。
私が歌舞伎等で知っていた「三番叟」と能『翁』の三番三とは方向性がおよそ違ったもの。『翁』のエンターテインメント度の高い「三番三」部のみを抽出して舞台化したのだろう。『翁』は神事だから、役者の舞台で真似るのは恐れ多い、せめて最後の「三番叟」を歌舞伎にしてしまおうということだろうか。しかも歌舞伎の場合、「なんたら三番叟」のように「三番叟」を換骨奪胎、より娯楽性の高いものに「改作」していることも多い。逆にそこに、あくまでも芸能の一つとして三番叟を捉えるという心意気も感じる。「どうだ!」って。
閑話休題。この日の舞台のシテは九郎右衛門師。非常に品があった。声は少々かすれ気味だった(?)のは、去る3日に極寒の多賀神社でも『翁』を舞われたからかも。神事なので身を律して過ごして来られ、その上での過酷な舞台。ご自身を神への捧げものとして捉えない限りできませんよね。
千載の片山峻佑さんと面箱持の茂山虎真さんは確かまだ高校生。初々しくも凛々しかった。
片山千之丞師の三番三はすっきりとそれでいて躍動的。いままでみた中で一番良かった。そこはかとなく知的な感じが漂ってきて、こちらも恩恵にあずかれる感じがした。
この日、『翁』の開演後は入場禁止になると分かっていたので、11時以前に会場に入るよう、早めに家をでた。途中寄り道をしてしまい、着いたのは15分前の10時45分。会場の入り口で驚いたのは観客が予想以上に多かったこと。京都の人はこの『翁』を待ちわびておられたんですね。観客席にいつにない熱気を感じてしまった。それが共有できて、うれしかった。
チラシ表が九郎右衛門師の翁の写真なので、アップしておく。