yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「集杉会春季大会 杉浦元三郎七回忌追善」@京都観世会館 7月28日

元は4月29日開催予定だった公演の延期公演。このところ立て続けに延期された社中会と正規公演が公開されているけれど、これもその一環である。

社中会は、できうる限りすべて見ようと決意している。というのも、コロナの影響で京都観世会例会、片山定期能は抽選になり、当たらないこともあるから。だから、これらの「社中会」、本当にありがたい。

「社中会」といえど、プロの囃子方が付く演目がプログラムのほぼ八割を占めるんですよ。もちろん社中会なのでシテを演じるのは素人だけれど、中級から上級者である。ピアノなどの発表会とは決定的に異なっていて、箸にも棒にもかからないような酷い演者はいない。3年前に能を見初めて、社中会にはできるだけ出かけてきたけれど、一度として失望したことはなかった。素晴らしい演者の舞台を見ることができた幸運に感謝している。それも「無料」で!申し訳ない思いがいつもある。

社中会は10時30分始まりだったのに、私が到着したのは午後1時。素謡の『草子洗小町』と舞囃子4本、仕舞4本を見逃してしまった。『草子洗小町』は歌の名手として名高い大友黒主と小野小町が争うという面白い趣向の能で、3年前に八坂神社で分林道治師のシテで見ている。推理小説のような暴露があり、サスペンスに富んだものなので、聴き(見)逃したのはかなり残念。

素謡の『景清』はほぼフルで見ることができたので、良しとすべきか。シテの瀧野直彦さん、ワキの角橋通弘さんの謡はかなりうたいこまれたことがわかった。この作品は歌舞伎荒事の『景清』とは景清の扱いが異なっている。かって「悪七兵衛」とまで称された景清。当時「悪」は「evil」という意味ではなく、「強い」「豪胆な」という意味だったのです。その強者の景清が今や落魄し、訪ねてきた娘にも自身が景清だと明かさないという悲しい展開になっている。つい何ヶ月か前にこの京都観世会館で杉浦豊彦師の景清を見ている。抑えた演技が素晴らしかった。杉浦師、この日は地謡で社中連を支えておられた。 

能は『小鍛冶 黒頭』だった。女性がシテだった。『小鍛冶』は若い男性の演目だと思っていたので、驚いた。何回か見ているけれど、いずれも比較的若い男性だったので。ワキの刀匠、三条宗近役の原大師とツレの原陸師の豊かな声量に圧倒された。

舞囃子では「放下僧」を舞われた武田照子さんの舞が良かった。「羯鼓入」とあるように、羯鼓を打ちながら舞われたのだけれど、お囃子方とちょっとタイミングが合っていないところがあったのも「ご愛嬌」だった。謡の声も凛としておられた。

なんかあっという間に終わってしまって、もっと早く来るべきだったとまたもや後悔。来月は社中会が目白押しなので、こういうヘマをしないようにするつもりである。