yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

素謡『安達原』in「保親浦声会」(浦田保親師社中会)@京都観世会館 2月14日

久々の京都観世会館。わけもなくうれしかった。

午前10時に始まり午後6時に終了予定の浦田保親師の社中会、私は12時頃に観世会館に到着、午後5時すぎに退出した。最後まで居たかったのだけれど、長丁場と夜公演に耐える自信が最近とみになくなっている。ただ、保親師とご子息の親良師の番外仕舞「二人静」を逃してしまったのはとても残念だった。でもこの『安達原』を聴くことができたのは、非常な収穫だった。

午前10時に始まり午後6時に終了予定の浦田保親師の社中会、私は12時頃に観世会館に到着、午後5時すぎに退出した。最後まで居たかったのだけれど、長丁場と夜公演に耐える自信が最近とみになくなっている。ただ、保親師とご子息の親良師の番外仕舞「二人静」を逃してしまったのはとても残念だった。でもこの『安達原』を聴くことができたのは、非常な収穫だった。以下が演者一覧である。地謡方が間違っている可能性あり(すみません)。

シテ   吉田恵美子

ワキ   林宗一郎

ツレ   浦田親良

笛    杉信太朗

小鼓   曽和鼓堂

大鼓   河村総一郎

太鼓   前川光範

 

地謡   大江又三郎 越賀隆之 浦田保親 大槻裕一 

素謡というのは、装束をつけないで全員舞台に座った状態で演じられる能番組のこと。謡本の通りに進行する。今回のものは多少の省略があったものの、ほぼ謡本を踏襲していた。先日メルカリで入手した謡本百冊(!)の中に『安達原』が入っていたので、それを見ながら拝聴出来た。謡本を見ながら舞台をほとんど見ない観客に呆れていたけれど、昨日は自分がその状態だった。お恥ずかしい。

シテを演じられた方の謡が素晴らしかった。声の広がり、奥行きともに申し分ない。その上、鬼女の感情の起伏を精確に捉えておられて、感心至極だった。それもごく自然に、易々と謡われた。思い入れもなく、淡々と。おそらく謡歴数十年の方だと思う。素人でここまで謡の上手い方はあまりいないと思う。

ワキの林宗一郎師もシテを支えつつ、それでいてしっかりとワキ独自の主張があって素晴らしかった。ものすごくお上手なのに、それが「どうだ、上手いだろう!」という驕りがない。京都観世の能楽師の方には謙虚さが著しいのだけれど、宗一郎師もまさにそう。それでいて、宗一郎師独自の凄みがある。謡本を放り出して、聞きほれた。

最終部はまさに悪鬼とワキ僧侶たちとの熾烈を極める闘い。ワキの連呼する仏教用語に圧倒される。謡にかぶせるようなお囃子の鬼気迫る演奏。ワクワクする。とくに太鼓の連打は激しくも凄まじい。実舞台もそうだけれど、素謡であってもこの緊迫感は圧巻である。鬼女は駆逐されたけれど、それでもやっぱり余韻は舞台に残っていた。