yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

復曲能『松山天狗』@大槻能楽堂 3月21日

以下が演者一覧。

お話 「魔界の首領 鬼妖怪」 大森亮尚

 

復曲能 『松山天狗』

 

前シテ 老人      浦田保親

後シテ 崇徳上皇の霊  浦田保親

ツレ 白峰の相模坊   深田貴彦

ツレ 眷属の子天狗   齊藤信輔

ツレ          山田 薫

ワキ 西行法師     宝生欣哉

アイ 番の鳶      善竹隆平

 

笛           杉信太朗

小鼓          清水晧祐

大鼓          山本哲也

太鼓          前川光範

 

後見          大槻文蔵

            赤松禎友

            上野雄三

 

地謡          片山九郎右衛門

            浦田保浩

            上田拓司

            寺澤幸祐

            味方 團

            武富康之

            大槻裕一

            笠田祐樹

能公演の前説の「お話」はあまりにもアカデミックなことが多く、楽しくないのが常なのだけれど、大森亮尚氏のはとても面白かった。古代研究にかける情熱が、特に崇徳上皇への想いが直に伝わってきたからだろう。

 

中でも上田秋成の『雨月物語』中の「白峯」の舞台になっている香川県坂出市にある白峯宮を三度も訪ねたというところに、学者然でない温度が感じられた。聴衆に「行ったことのある人は?」と訊かれるも、手を挙げる人がほとんどいなくて、がっかりしておられた。私は京都の白峰神社には一度だけ行ったことがある。晴明神社から北に上がったところで、同志社大の新町キャンパスにも近い。あのあたりは陰陽道にゆかりのある神社が多いのかもしれない。

 

崇徳上皇の霊を弔うため、白峯宮を訪れた西行が詠んだ歌、「松山の浪のけしきはかはらじをかたなく君はなりまさりけり」がこの能のもとになっているのだ。私の個人的な

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公演チラシにある概要を転載させていただく。

 保限の乱で破れ、讃岐国松山に流された崇徳院は、冥府の魔王となり朝廷への復讐を誓って悲憤と嘆きのうちに死を遂げ、亡き玉体は都へ戻されることもなく配所に葬られた。時は流れ、白峰にある陵墓を訪ねた西行法師が哀悼の歌を手向けると、崇徳院の亡霊が現れる。

 

 観世流では1994年「能劇演の座」が復曲(能本作成・西野春雄、演出八世観世銕之丞)。初演以降、盟主たちによって菜園が重ねられてきた本作。西行法師に宝生欣哉(人間国宝)、地頭に十世片山九郎右衛門を迎えてこの壮絶な物語を浦田保親がどのように演ずるのか楽しみだ。                                    文・石渕文恵

前場の老人。落ち着き萎れた感じの中にも声は力強く、格調が高い。それがこの人が非常に高位の人であることを表している。滲み出る気品を出すのに、控えめながらも凛とした所作とブレることない確かな声調が使われている。杖をついて歩く姿は乱れがなく、それが見る側にこの人の内面が整っていることを示している。

 

しかしの後場では一転。造りものの中から出た途端、つきぬ恨みをまとった怨霊となり、右に左に舞台狭しと練り歩く。何度も床を踏み締め、身体に溜め込んだ怒りをこれでもか、これでもかと激しく吐露する。激しく煽り立てる笛、大小の鼓、そこに太鼓の乱打が加わり、してのクルクルと舞う所作をより煽る。「まだまだ、私の気は済まない!」と訴えているかのようである。

 

そこへ相模坊に率いられた子天狗たちが走って登場。作り物の中に納まったシテの代役として激しく上に下に、左に右に舞台を跳ね回る。お囃子も一層ボルテージをあげる。まるでミュージカルの演者と演奏者の掛け合いのように、双方が一体となってエネルギーを放出する。

 

舞い狂う天狗たち。そこに崇徳の霊も参加する。やがて最高潮に達し、それは終焉を迎える。彼らが橋がかりにやってくる。シテも彼らを追う。抜きつつ、彼らはまるで一陣の風の如く、抜かれつ、揉まれるように退場する。猛烈なエネルギーを舞台に残したままで。

保親師のシテがとにかく素晴らしかった!終わった後、言葉もなかった。