yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

能『舎利』in「観世青年研究能八月公演」@京都観世会館 8月8日

この日、シテ予定の浦田親良師がご病気で、お父上の浦田保親師がシテを務められた。本来なら後見のはずだった浦田保親師がシテを担われたということである。私は当日まで知らなくて、会館ロビーの掲示で知った。facebookで前日予告されていたんですね。お若いから回復も早いでしょうが、心配です。

保親師のシテ、その躍動的、疾走性などのダイナミズムに圧倒された。隅々まで若さ溢れるもので、見る側を巻き込み、興奮の渦におとしいれるものだった。おそらくここまでの動きは「年齢制限」がつくと思われるけれど、保親師はなんなくクリアされていた。しかも荒々しさというより、もっと研ぎ澄まされたシャープさが感じられるものだった。さすが上位の芸だと唸りながら見ていた。ちょっとお得をした感じもあった(親良師、ごめんなさい)。

それにしても、能楽師の方々はいわゆる代役=ピンチヒッターを務める場合でも常に完璧な舞台をされるのだと、感心してしまった。能舞台はいわゆるアドリブ的なもの、当意即妙的なものを徹底して排除する厳格さの上に成り立っている。だから謡も所作も百パーセント身体に入っていなければならない。代役という緊急事態においても、完成度が求められることがわかった。7月の「京都観世会」で橋本忠樹師が急遽務められた『阿漕』もまさにそれだった。

それと、後見として舞台後方に座っておられる方々は単に侍っているだけではなく、舞台演者(シテ)に何かあったときは、即座に代役を務める役割を負っておられるんですよね。なにごとも中途半端なまま終わったことにしがちな自分自身を省みてしまった。自身の分野においても人の代役なんて到底できそうにもない。

この日の演者一覧は以下である。

シテ  足疾鬼   浦田保親  

ツレ  韋駄天   河村紀仁

ワキ  旅僧    岡 充

アイ  能力    島田洋海

 

笛    杉信太朗

小鼓   林 大和

大鼓   河村裕一郎

太鼓   中田一葉

 

後見   浦田保浩  深野新次郎

地謡   樹下千慧  河村浩太郎  大江泰正

     河村和貴  深野貴彦  林 宗一郎

 

シテ、ワキ、アイ、地謡方、囃子方、どれもがお若い方々の舞台。清新さと力強さが伝わってきた。

『舎利』は昨年の京都観世会5月例会(コロナのため8月13日に順延)でも見ている。田茂井廣道師が足疾鬼、河村和貴師が韋駄天だった。ダイナミックで若さあふれる舞台に感動した記憶が甦ってきた。当ブログ記事にしている。その記事中に銕仙会 『能楽事典』解説を以下のように援用させていただいている。

後場がとにかく面白い。銕仙会 『能楽事典』解説に「足疾鬼は天空を自在に飛びまわり、追撃を攪乱しようとする。韋駄天も負けじと追いまわし、天の世界に飛び翔る。神通力をもつ者同士の、一対一の攻防戦」とあるように、めくるめく攻防戦が繰り広げられる。舎利殿を模した台座の上に足疾鬼が跳び乗れば、それを追って韋駄天も台座に跳び乗る。台座上に並んでの闘い。両者の跳び乗り、跳び降りの繰り返しが、楽しい。

最後は韋駄天が舎利を奪い返すのだけれど、その時のウルトラC技に思わず声が出てしまった。台座手前から両足を揃えて台座に跳び乗り、さらに両足揃えたまま跳んで台座向こうに降りる。それだけではないんです。台座にその後ろ向き姿勢のまま飛び乗り、さらにその姿勢のまま台座手前に降りるというすごい技!何しろ面をつけて視界がかなり制約されているはずなのに、このウルトラ技。すごいダイナミズム。二者のパワーが全開、でもどこか可笑しい。

ここでも書いたのだけれど、後場クライマックスは足疾鬼と韋駄天のチェース劇だろう。二人の掛け合いという話の展開も面白いのだけれど、何といってもハイライトは足疾鬼が舞台前面に置かれた式台に跳び乗り跳び降りを繰り返し、さらに式台の上で韋駄天ともみ合うところだろう。面を付けているので、視界は極めてlimitedなはず。その上で台に前から跳びのり、後ろ向きに跳び降りなんて、ウルトラC級の難しさ。加えて台座と舞台前のおよそ十数センチしかない極小部にも降りるなんていう動作。ウルトラCのさらに上をゆく難しさだろう。浦田保親師は難なく、しかも爽やかにこれをやってのけられた。

退場される時、観客席から賞賛のため息が聴こえたような気がした。