yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

浦田保親師のシテ・景清に感涙した!能『景清』in「浦田定期能公演 浦田保利十三回忌追善公演」@京都観世会館7月22日

能及び歌舞伎の『俊寛』を思わせる現在能。後場に亡霊が出て来て過去の自身への晴れることのない想いを語り舞うという「夢幻能」よりも現代劇に近い感じがするのは、観客が舞台の時間を同時的に共有できるからだろう。だから夢幻能よりもドラマチックな時間構成になっていると言える。見る側も登場人物、とくにシテに同化しつつ、ドラマの流れの中にごく自然に身を任せやすい。つまりこの能の場合は、シテの景清の心理の浮沈にハラハラドキドキしつつ、見ることになる。

シテの浦田保親師の語り、所作は一連のドラマとしての流れに沿った、時としてはそれに抗うかのような激しいもので、目前に広がる空間を完全に支配していた。そこに参加を促された見る側は、時としてはシテ景清の嘆きに共振して嘆きに同調し、時としてはさらに煽られて興奮することになる。

通奏低音になっているのは、かっては悪七兵衛とまで呼ばれ、その勇猛を讃えられた自身が、ここまで老いさらばえ、身を持て余す仕儀に陥っていることへの景清の屈辱と悲嘆。それが昔の強かった武士としての有様を語るところにも影を落とす。その悲嘆にシンクロしてなんども涙が出そうになった。素晴らしい声。浦田保親師は普段はどちらかというと奥行きのある高めの声なのに、老景清になりきった声はしゃがれた低い声にしておられた。「すごい!」と何度もつぶやきながら見ていた。

シテは最初から作り物の中に入っていて、後でその中から出てくるのだけれど、動くことが極めて少ない。だからその少ない動きの中で、景清の全貌を明らかにしなくてはならないという、難しい役である。1時間30分程度の長い曲なのに、あっという間に終わった気がした。謡本を持って行ったのだけれど、あまり目を落とさずにひたすら舞台を見ていた。

公演チラシ裏をアップしておく。

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演者一覧は以下。

シテ  景清  浦田保親

ツレ  人丸  深野貴彦

ツレ  従者  片山伸吾

ワキ  里人  福王茂十郎

 

笛       左鴻泰弘

小鼓      曽和鼓堂

大鼓      山本哲也

 

後見      大江信行  深野新次郎

 

地謡      大槻祐一 樹下千慧 河村和晃 河村和貴

        林宗一郎 浦田保浩 大槻文蔵 味方 玄

例により『銕仙会能楽事典』より概要をお借りする。

鎌倉時代初頭。九州に流された平家の侍 景清を訪ねて、娘の人丸(ツレ)が従者(トモ)を連れて日向を訪れる。それと知らず景清の庵を訪れた二人であったが、景清(シテ)は自らの正体を隠し、「景清のことはよく知らない」と言って二人を帰す。次いで里人(ワキ)に景清の在所を尋ねた二人は、先程の人物こそ景清だと教えられ、再度景清の庵を訪れる。里人は人丸を景清に引き合わせるが、景清は今の境遇を嘆き、自分が名乗らなかったのは人丸の世間体を守るためだったと明かす。景清は所望されるままに、屋島の合戦での武勇を誇らしげに語るが、やがて我にかえり、今の身を恥じる。親子は別れの言葉を交わすと、人丸は、景清に見送られながら、宮崎の地をあとにするのだった。

作者は不詳。以前にも何回か『景清』を見ているけれど、こんなにも感動したのは初めてだった。

この日は能3本の構成で、腰に自信がない私は2本目からの観劇になった。観客は予想よりずっと多く、華やいでいたのが嬉しかった。