yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

片山九郎右衛門師シテの『大会』in 「能楽チャリティ公演~祈りよとどけ 京都より」@ロームシアター 9月25日配信、再配信は10月12日まで

9月25日にネット配信された「能楽チャリティ公演~祈りよとどけ 京都より」。能2本と狂言1本の構成。

最初にシテ方の片山九郎右衛門師と小鼓方の吉阪一郎師の対談、2本目の『大会』の舞台前に片山九郎右衛門師と舞台美術監督の前原和比古氏(京都舞台美術製作所)の対談があった。これらが実に興味深かった。

前原和比古氏は昨年2月の『鷹姫』(@ロームシアター)でも舞台監督をされていた。演出の精緻さ、深さに感動した記憶が甦ってきた。

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すごい人が、それも西洋舞台に通暁した方が舞台監督をされているのがわかった。そういえばこの舞台のあとで、九郎右衛門師が「冒険をやったので、お叱りを受けるかも知れない」とおっしゃっていたのだけれど、今回前原氏が再び舞台監督をされたということは、「お叱り」はなかったのだろう。当然である。能の新境地を拓く演出に異議を唱えるということは、完全に後ろ向きの発言だから。お二人の間の信頼の糸がより強靭なものになったことがうれしい。

今回の『大会』は「能楽堂ではないヴァージョン」を明確に、確信犯的に示したものだった。加えて九郎右衛門師描かれた童話の絵が使われていた。冒頭、九郎右衛門師描画の絵本絵で、このストーリーの核心を紹介されていた。シテを演じられた九郎右衛門師の童心の心持ちというか、イマジネーションを加味した形で、舞台が創られるというのがとても新鮮。それにしても九郎右衛門師が子供の心を未だにお持ちなのに、感動してしまった。また、九郎右衛門師の要望として、「作り物がお釈迦様が出てきた時にきらびやかに変わる」というのもあったそうである。かなり「無理な」注文をされた前原氏、真摯に受け止められて舞台に実現されたのには、頭が下がる。以下に演者とスタッフを。

舞台美術監督 前原和比古(京都舞台美術製作所 )

 

前シテ  片山九郎右衛門

(山伏)        

後シテ  片山九郎右衛門

(釈迦に扮した天狗)

ツレ   味方玄

(帝釈天)

ワキ   有松遼一

(比叡山僧正)

アイ   ?

(木の葉天狗)

 

笛    杉信太朗

小鼓   吉阪一郎

大鼓   河村大

太鼓   前川光範

地謡   味方團 田茂井博道 

     橋本和樹 河村和貴

     片山伸吾 浦田泰親  

     古橋正邦 分林道治

『銕仙会 能楽事典』より概要をお借りする。

比叡山で修行していた僧(ワキ)のもとに、一人の山伏(シテ)が訪れ、以前命を助けられた者だと言って礼を述べる。実は、僧はかつて京童たちにいじめられていた鳶を助けたのであった。鳶は天狗の仮の姿というが、その天狗が、今度は山伏の姿でやって来たのである。望みがあれば何でも叶えようと言う山伏に、僧は、釈迦が法華経を説いた時の様子を再現して見たいと言う。山伏は「叶えるが、それを見ても信心を起こしてはならぬ」と言い置き、消え失せた。僧が目を閉じて待っていると声が聞こえてきたので、目を開けるとそこには大天狗の扮する釈迦如来(後シテ)が、大勢の弟子達に囲まれて説法をしていた。僧は先刻の約束を忘れて思わず信心を起こしてしまう。そのとき、天から帝釈天(ツレ)が現れ、信心深い僧を幻惑したとして大天狗を責め立てる。通力も破れ、もとの姿に戻った天狗は、帝釈天に対して平謝りに謝ると、ほうほうの体で逃げ帰っていった。

途中の裏音声解説で、帝釈天はワグナーの『ヴァルキューレ』を想起させると九郎右衛門師。確かに女神的な、女性原理を表象する(ヴァルキューレの代表)ブリュンヒルデは、この帝釈天に通じるものがあるかも知れない。『ヴァルキューレ』が壮大な叙事詩世界を描いているとしたら、『大会』は喜劇である。でもさすが能、奥が深い。九郎右衛門師の裏音声で、「オカシ」が「やがてカナシ」になってゆくと解説されていたが、そういう含みというか奥行きを感じさせる能になっている。

鳶に化けた天狗が僧正に助けられたのを恩に感じ、「鶴の恩返し」ならぬ「鳶の恩返し」を試みたけれど、その善意に反して僧正をたぶらかす結果になってしまう。あまりにも誠意を込めて「釈迦」を演じたためである。ある意味、天狗は悪くないのに帝釈天に懲らしめられるわけで、こういうひねりが奥行きを作っているのだろう。

そして、後場で登場した「釈迦牟尼」の扮装がものすごい。としか言いようがない。笑っていのか、なんなのか。実際の舞台を見た観客はどう反応したのだろう、興味がある。ばかでかい面を、それも異様に派手なものをつけ、体は四等身。作り物も派手になる。スクリーンショットを載せておく。

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怒った帝釈天登場。こちらも華麗な衣装。ニセお釈迦さまは舞台奥で天狗の扮装に。そこからは二人の闘いになる。帝釈天の味方玄師はキレの良い動き、対する九郎右衛門師も鋭い所作で向かう。なんとも贅沢な舞台である。手に汗握って二人の相打ちを目で追う。お囃子が煽る、煽る。ワクワクとハラハラとが綯い交ぜになって、至福のとき。とんだり跳ねたりがあって、やがて天狗さんは降参。ここでのお二人の動きはさすがと思わせるもの。帝釈天が舞台を去り、そして天狗さんも引っ込む。舞台からいなくなるのが惜しい!

最後に一言。能公演で英語サブタイトル(字幕)がつく際、時々間違いがあるけれど、この公演に付いた英語は完璧だった。しかも詩心がある方が訳されたとわかるものだった。