yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

吉浪壽晃師シテの『国栖』(くず)in「京都観世会四月例会」@京都観世会館 4月24日

『国栖』は2017年の「あじさい能」(シテ吉井基晴師)で見たのが最初で、後3回見ている。最近は2019年の「林定期能」でのもので、若い役者さんが勢揃いのみずみずしい舞台が印象的だった。記事にしている。

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今回の出演者一覧と京都観世会が付した解説は以下である。

前シテ 国栖の里の老翁  吉浪壽晃

後シテ 蔵王権現     吉浪壽晃

前ツレ 国栖の里の老嫗  河村紀仁

後ツレ 天女       吉田篤史

子方  天皇       吉浪咲紀

ワキ  旅僧       福王知登

ツレ  輿舁       中村宜成

    輿舁       矢野昌平

アイ  追手       茂山千之丞

    追手       丸石やすし

小鼓           林 大輝

大鼓           石井保彦

笛            左鴻泰弘

太鼓           前川光長

 

後見  林宗一郎 

    井上裕久

 

地謡  寺澤拓海  河村浩太郎  大江泰正  浦部幸裕

    分林道治  越賀隆之   古橋正邦  河村晴久

    

<解説>

 清見原天皇一行は大友皇子に攻められ、吉野山中に逃れる。漁師の老夫婦が川舟に乗り帰ってみると、我が家の上に紫雲がたなびいている。家に入ると清見原天皇一行がかくまってくれるよう尉に頼む。尉はかくまうことを約束する。逃げている間、二、三日なにも食べていなかった天皇は、老夫婦より「国栖魚(鮎)」等をもらい、食す。天皇が鮎の残りを尉に与えると、尉はその鮎がいまだ生き生きとしているのを見て、吉野川に放して天皇の行末の吉凶を占う。すると鮎は生き返り再び泳いだので天皇の将来が安泰であるとはげます。そこへ大友皇子の追手がせまるが、尉と姥は天皇を舟底に隠して窮地をのりきる。やがて夜も更け妙なる音楽が聞こえ、老夫婦は姿を消す。                             〈中入〉
 代わって天女が天降り、舞の袖をひるがえして天皇をなぐさめると、蔵王権現も現れ清見原(天武)天皇の行末の久しからんことを予祝するのだった。
 壬申の乱の史実に加え、宮中で行われる「五節の舞」が、天武天皇が吉野にいた時に天女が五たび袖をひるがえしたのが始まりとする伝説をとり合わせて作られた能。前シテの尉を神の化身として見ても、土着の骨太い老人と見ても、面白い。

上の解説にあるように、前シテは神の化身とも単なる土着の老人とも取れるだろうが(そうなるとまた土着民と将来の天皇との関係というまた別のテーマが絡むことになるが)、吉浪壽晃師のシテはどちらかというと前者の方だった。すっきりとした立ち姿、鈴を鳴らすような声の響きは、やはり神の化身以外の者ではないように感じた。ツレの河村紀仁師も涼やかな声と姿で、嫗というよりももう一人の神という風情だった。もっと年配の役者が演じれば、また違った感慨を持つのかもしれないけれど。爽やかさが全編続くのが、私としてはとても気持ちよかった。

後場、天女を演じ、「五節の舞」を舞われた吉田篤史師の舞いも流麗だった。音楽的というか、ちょっと独特の音色が聞こえてきそうな感じがした。若い演者だとすぐにわかる。未熟という意味ではなく、涼やかだという意味で。

また、蔵王権現としてその姿を現す後シテも、前場に続いて吉浪師が演じられた(前シテと後シテが違う場合もある)。終始雰囲気が損なわれず、これも嬉しかった。

「壬申の乱」に題材を採った演目のひとつであり、後の天武天皇になる大海人皇子が大友皇子側に追われて逃げ込んだ国栖の里が舞台になっている。「能楽を旅する」と謳っている「能楽協会」のサイトに 1月にこのテーマの一環として行われた能『国栖』公演(前シテ 観世銕之丞、後シテ 大槻文蔵)があがっていて、この能の背景がよくわかる解説が付いている。以下である。

「国栖(くず)」は、皇位継承をめぐり、天智天皇の弟である大海人皇子(後の清見原[きよみはら]天皇・天武天皇)と、天智天皇の子・大友皇子が争った壬申の乱(672年)を題材とした人気曲です。

壬申の乱で、大海人皇子はいったん身を引いて奈良・吉野に移り、そこで挙兵の準備を進めた後、都(近江大津宮)に攻め上って大友皇子を倒します。その後、飛鳥浄見原宮を都に定めて即位し、天武天皇となりました。

能では、吉野に逃げのびた清見原天皇を土地の老夫婦が家にかくまい、もてなし、慰め、さらには迫る追っ手を機転により追い返すなど、ストーリー性豊かで、見どころの多い構成となっています。

曲名の「国栖」は、吉野山中に住む人々の呼び名で、彼らが住んでいた地域名にもなっていました。古代の素朴な情景が目に浮かび、その世界に浸って楽しめる神話のような能です。

「能楽を旅する」サイトには今年1月の吉野金峯山寺蔵王堂での『国栖』公演の映像(via YouTube)も見ることができる。重厚な雰囲気で、京都観世会で見たものとは随分と違った印象。

また、この公演関係で、「能楽のふるさと・奈良に想う~大倉源次郎インタビュー」という記事が同サイトにあがっている。リンクしておく。

www.nohgaku.or.jp

吉野と能楽との、そして能楽師の家と繋がりの歴史がわかり、とても興味深かった。ぜひ、一読していただきたいです。