この日の公演は能3本、狂言1本という過密なものだった。11時に始まり、終わったのが5時前。例会は大抵このスケジュールで、演者の方々は疲労困憊されていることと思う。実力と華で日本一の能楽師の方々を擁する京都観世会。彼らの充実した舞台を見せていただく一観客としては、ありがたさの極みであり、常々感謝している。東京だったらチケットがすぐに完売になるに違いない格調高い舞台。それが毎月ですよ。こんなチケット代でいいのかと、申し訳なく思ってしまう。
最近は認知度が上がり、11時の開演間際にゆくと二階席しかないこともある。この日も開演15分前で一階席はほぼ満員状態だった。中正面の良席に座れたので、ありがたい。
吉田篤史師シテの世阿弥作『鵜飼』はこの日最後の番組だった。以下が演者一覧。
シテ(尉・閻魔王)吉田篤史
ワキ(旅僧) 江崎欽次朗
ツレ(従者) 和田英基
アイ(所の者) 泉慎也
笛 森田保美
小鼓 曽和鼓堂
大鼓 河村裕一郎
太鼓 前川光長
後見 井上裕久 分林道治
地謡 浦田親良 河村和貴 宮本茂樹 梅田嘉宏
松野浩行 大江信行 橋本光史 林宗一郎
京都観世会サイトにあった解説をお借りする。
旅の僧が甲斐国石和で宿を求めるが、貸してもらえず、川沿いの御堂に泊まる。そこに鵜使いの老人がやってくる。僧は鵜使いの老人に殺生戒を説く。従僧は、昔この辺を通った時にこのような鵜使いに殺生戒を諭し、一夜の宿の接待を受けたことを思い出し、話す。老人はその鵜使いが死んだことを物語る。―昔、石和には禁漁区があった。しかしその鵜使いは夜な夜な忍んで鵜を使って漁をしたところ、見つかり、ふしづけ(す巻き)にされた、という。―老人は語り終わると、実は自分はその鵜使いの幽霊であると明かす。僧は罪障懺悔に鵜を使うよう所望する。老人は鵜を使って見せるが、やがて闇に消える。
〈中入〉
僧が法華経で弔うと閻魔の下官(倶生神)が現れ、無間地獄に堕とすべき鵜使いを、僧の回向と、かつての一僧一宿の功力によって、仏所へ送りかえるのだった。
シテの吉田篤史師はこの日のシテでもっともお若い。松明を持って登場するところは老人くさくない。その「老人」が鵜飼という己の職業のもつ業を嘆く。
「本当に罪深い、この身の生業。しかしひとたび始めてしまうと、その面白さに、やめることはできぬ。後の世の報いの恐ろしいことよ…。風流を解する高貴な方々は月のない夜を厭われるが、わしは月の夜は嫌いじゃ。闇夜は都合がよい。ああ、この身のわざの賤しいこと…。」(銕仙会「能楽事典」の「ストーリーの流れ」参照)。僧が他の職業に変わるように勧めても、今更できないと断ってしまう。そして、自分の密漁の様と、その挙げ句にとらわれ、簀巻きにされて川に流された顛末を語る。そして僧たちには一夜の宿を提供、闇に消えて行く。
この後アイが登場、鵜飼の事件を僧たちに語る。ここのところはかなり長く、せっかくの緊張感がちょっとだれてしまった。もっともこれは私のみの感想。
後場は短くも迫力満点の展開。何しろ後シテは鵜飼ではなく、閻魔大王だった。見るも恐ろしい赤い毛に面も禍々しいもの。動きもサーっと速やか。ここでは吉田篤史師の若さが生きていた。鵜飼は僧たちに宿を提供したという功徳により、地獄行きを免れたと語る大王。ほっとする結末。法華経のありがたさが解かれる仕組み。
銕仙会の「能楽事典」によると、『鵜飼』は五番目者(鬼物)で、「三卑賤」の一つだとか。他2本は『阿漕』と『善知鳥』。一昨年11月に味方團師のお社中会で社中の方シテの『鵜飼』を見たのだけれど力強い舞台で、感動したことを思い出した。
この日の3本の能は観阿弥、世阿弥、元雅のものだった。ロビーには「観自在」の書が。