yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

能『朝長』と能『熊坂』in「林定期能改め。SHITE シテ2022」@京都観世会館 5月28日

「林定期能」を「SHITE シテ」に改められた林宗一郎師。さすがの若い能楽師の多い林一門のトップでおられる。公演プログラムがまたおしゃれ。表・裏をアップさせていただく。

 

能楽公演はもちろんのこと、他の伝統芸能にはなかなかない斬新な装丁。歌舞伎も「コクーン歌舞伎」等ではこういう試みもあるけれど、あくまでも亜流扱い。だから、この目を引く装丁にはワクワクした。入ってすぐのカウンターに並んでいるのを見た瞬間、「うわーっ!」で声をあげてしまう。

林一門の他の公演も同様に斬新で素敵なプログラムになっている。例えば6月10日の「KYOTO de petit 能」と7月2日の「宗一郎の会」も目を引くプログラム。

加えて、YouTubeでも演目紹介の発信もしておられる。例えばこの5月28日の公演についてのサイトは以下になっている。チャンネル主催者は一門の若手、松野浩行師。

www.youtube.com

松野師はなんと6年前の「大連吟」の頃から発信しておられる。私が見始めたのは2年前から。それ以来、定期的にチェックさせていただいている。林宗一郎師もYouTube発信を1年前からしておられる。

ということで、今回の「SHITE シテ」公演は本年2回目になる。「KYOTO de petit 能」の公演はコロナ禍下でも熱心に発信しておられて、それも無料で見放題。なんて太っ腹!感涙ものである。どれもレベルが非常に高くすばらしい。

「演者に効く」なんていうシリーズもあり、普通では知り得ない裏情報が聞けたりするので、能に少しでも興味のある人はここから入るのも良いかもしれない。林宗一郎師と一門の方々がここまで太っ腹に公開しておられるのは、一人でも観能人口を増やしたいという強い想いがおありだからと、勝手に推察している。

前置きが長くなってしまったけれど、今回の公演についても先述したようにYouTubeで演者解説があったし、さらに公演前に朝長については河村晴道氏の解説、『熊坂』については田茂井廣道師の解説があった。また、これは毎回のことなのだけれど、詳しい場面次第(解説)が配られるのもありがたい。

『朝長』については『銕仙会能楽事典』から概要をお借りする。

平治の乱の直後。かつて源朝長の養育係をつとめ、今は僧となっていた男(ワキ)は、合戦で自害した朝長の菩提を弔うため、その終焉の地・青墓宿を訪れる。僧が朝長の墓前で手を合わせていると、そこへ、この宿場の長者(前シテ)がやって来た。実は彼女こそ、朝長が自害の晩に泊まっていた宿所の主であった。わずか一夜の縁でありながら、今なお朝長を大切に思い、亡き跡を懇ろに弔う彼女。長者は、朝長自害の夜の記憶を語り、僧に今夜の宿を提供するのだった。
その夜、僧が朝長を弔っていると、朝長の幽霊(後シテ)が現れた。譜代の家臣すら主君を裏切るこの世の中で、たった一夜の縁でありながら今なお大切に思ってくれている長者へ、感謝の言葉を述べる朝長。彼は、今なお脳裏で繰り返される合戦の記憶に苦しみつつ、さらなる回向を願って消えてゆくのだった。

演者一覧については上にリンクしたプログラム裏を見ていただきたい。ただツレは樹下千慧師になり、河村和晃師は地謡に入っておられた。後見がなんと(林一門ではない)お兄様の味方玄師だったのには驚いた。

味方團師のシテ、朝長はどこかに儚さというか武将としては脆さのようなものを表現されていた。平敦盛が平家方の悲劇の若武者とすると、源朝長は源氏方の悲劇の若武者ということになるかもしれない。朝長が(矢に見立てた)扇で太ももを付いてその後、「腹一文字に掻っ切って」と激しい所作をするところを渾身の力を振り絞って演じられていた。そのあと唐突なくらいにすぐに終わってしまうのだけれど、舞台にはあとまで余韻が残った。「元雅作か?」と解説にあって、納得した気分だった。

『熊坂』は以前に見て「まるで歌舞伎見たい!」なんて感じた作品。田茂井師の解説にもあったように、『朝長』と背景は同じ美濃国赤坂。ただ登場する人物はもっと63歳の熊坂長範である。源家の16歳の若武者vs. 63歳の大盗賊という対比が面白い。しかも熊坂を演じるのが林一門で一番若い(25歳?)河村紀仁師。

『銕仙会能楽事典』から概要をお借りする。

旅の僧(ワキ)が美濃国赤坂宿にさしかかると、一人の僧(前シテ)が呼び止め、今日はある人物の命日なので弔ってくれと頼む。彼の庵室へと案内された旅の僧が目にしたのは、所狭しと並べられた武具の山。彼は、この辺りには盗賊が出るのでその対策だと教えると、旅の僧に休むように言い、自らも寝室に入ってゆく。その刹那、庵室はたちまち消え失せてしまうのだった。

土地の男(アイ)から、かつてこの地を騒がせた大盗賊・熊坂長範の故事を教えられた旅の僧は、先刻の僧こそ長範の霊だと気づく。やがて旅の僧が弔っていると、長範の亡霊(後シテ)が現れ、今なお略奪に生きた生前の妄執に囚われつづけていることを明かす。長範は、三条吉次の一行を襲撃したところ牛若丸によって返り討ちに遭ったことを語り、最期の様子を再現して見せるのだった。

YouTubeの林宗一郎師の解説によると、熊坂が牛若と闘っている場では牛若丸がまるで目の前にいるように、薙刀を振り回しつつくるくると回る激しい動きをする。その場の解説を再び『銕仙会能楽事典』の「舞台の流れ」からお借りする。

しびれを切らした私が打ち込んでゆくと、牛若殿はひらりひらりと受け流し、私の攻撃を攪乱する。そのとき、一瞬の隙を突いてきた牛若殿。手負いとなった私は長刀を捨て、取っ組み合おうと攻めかかる。しかし牛若殿は一向に捕まらず、その間にも私は深手を負ってゆく。そうして力も心も尽き果てた私は、遂に命を落としたのだ…。

さすがお若紀仁師、軽々とぴょんぴょん跳ねるところも、くるくると回り跳ぶところもただお見事。楽しかった。後ろには宗一郎師とお父上の晴道師、見守っておられた。また従兄弟(?)に当たられる和貴師と和晃師が真剣に紀仁師を気遣ってずっと目で追っておられたのも、印象的だった。