yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

素謡『屋島』in「春の素謡と仕舞の会」@京都観世会館 3月14日

歌舞伎が描く義経は英雄としての勇姿であることが多いけれど、能『屋島』の義経は修羅道に堕ちた姿で登場する。成仏が叶わず、底なしの煩悩に苦しむ義経である。さすが世阿弥、その武勇を背に雄々しく登場する義経ではなく、まさにその逆の義経像を立ち上げている。改めて世阿弥のすごさを確認することになる。とくにその後場のシテとワキとの掛け合いの見事さ、詞章の美しさは絶句もの。

素謡なので、シテ、ワキともに地謡に加わっての謡になる。演者一覧は以下。

シテ  林宗一郎

ツレ  樹下千慧

ワキ  越賀隆之

地謡  浦田親良 河村和貴 梅田嘉宏 

    河村晴久 河村和重 

概要を「銕仙会能楽事典」よりお借りする。

讃岐国 屋島浦を訪れた旅の僧(ワキ・ワキツレ)。そこに現れた浦の老漁師(前シテ)は、僧が京の人と知って快く宿を貸し、都のことを懐かしむ様子。老翁は僧の問いに答えて昔の屋島合戦の顛末を物語るが、それは余りにも詳細なものであった。不審がる僧たちへ、老翁は自らの正体を仄めかすと、姿を消してしまう。実は彼こそ、屋島合戦で活躍した源氏の大将・源義経の幽霊であった。

その夜、僧の夢枕に現れた義経の霊(後シテ)。義経は、合戦のさなかに弓を海へ流してしまった折、身の危険を顧みずに取り戻したことを語ると、それは名誉を惜しむ心からであったと明かし、武の道に生きる自らの信念を語る。そうする内、修羅の巷へと変貌した屋島浦。義経は戦への執心に奮い立つと、死してなお続く闘諍の日々を見せるのだった。

2018年年10月に林宗一郎師シテの薪能で『屋島』を見ているので、リンクしておく

林宗一郎師のシテは堂々とした中に義経の呻きが聞こえるかのような謡になっていた。ワキの越賀隆之師の謡も負けずに格調が高い。堪能できた。

「素謡」は能の「舞」部が省かれているので、より謡そのものに集中できる。でもその分、謡い手には大きな重圧がかかることがわかる。より表現を研ぎ澄ましたものにしなくてはならないから。能の本舞台とは違ってお囃子もないので、盛り上げるのも難しいだろう。それをドラマチック度満点で演じきられたシテ、ワキ、ツレ、そして地謡方の方々の充実に感動した。

最終部のシテの台詞も感動的である。

智者は惑はず 勇者は恐れずの

弥猛心の梓弓 敵には取り傳へじと

惜しむは名のため

惜しまぬは一命ならば

身を捨ててこそ 後記にも

佳名を留むべき弓筆の跡なるべけれ

命よりも名誉を選んだ英雄そのものの義経であっても、今や修羅の巷を右往左往する亡霊に過ぎない。敵の船軍と見えたのは、実は鴎の群、鬨の声に聞こえたのは浦風であったという箇所、悲惨さと救いのなさが苛烈に迫ってくる。

この日、大失敗してしまった。開始時刻11時を勘違いして、阪急河原町駅に着いた時点で既に11時過ぎ。タクシーで会館についたら25分。途中入室という反則で入り込んだのがちょうど後場に入ったところだった。持って行った謡本、『八嶋』を取り出して箇所しようと周りを確認したら、ほとんどの方々は謡本に見入っておられた。そうか、「素謡の会」の観客は謡の稽古をされている方が多いのですね。

謡本にかじりついて能舞台を見るのは邪道のような気がしていた(いる)けれど、素謡だとあまり罪悪感が感じなくて済むのかもしれない。詞章が読めるとその詩句の華やぎを目でしっかりと確認できる。読めない漢字にもふりがながきちんと振ってあって、私のような浅学の身には大いに助かる。というこで、この日は堂々と(?)謡本首っぴきで舞台を見た。