yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

林宗一郎師シテの薪能『屋島』@関西セミナーハウス、きらら山荘 10月5日

当日、とても詳しい「舞台展開解説」をチラシでいただいた。さらに、演能前に田茂井廣道師によるプレトークがあった。『屋島』、『田村』、『箙』の三本は「勝修羅三番と呼ばれていることを、初めて知った。こういうトークは能のストーリーだけでなく見どころの予習として、そして能を身近に感じるために役立つ。解説者が能楽師の場合はなおさらである。田茂井師のほんわかとした雰囲気で、場が和んだ。

写真は開演前の5時頃の能舞台の様子。開演は5時半で、この写真の頃はまだ明るい。関西セミナーハウス館長から能楽堂(豊響殿)の由来の説明があった。

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それから火入れ式。薪能は能楽堂で見るのとは違った雰囲気。いにしえに還った感じがして、舞台への期待が高まる。以下が演者の方々。なお、「あらすじ」、「みどころ」は大槻能楽堂のサイトから引用させていただく。

シテ:林宗一郎

ツレ:樹下千慧

ワキ:有松遼一

アイ:茂山逸平

 

笛 森田保美 

小鼓 吉阪一郎 

大鼓 渡部諭

 

地謡   河村浩太郎 河村和晃 田茂井廣道 松野浩行   

後見   味方團 河村和貴

 

あらすじ

都の僧が従僧を伴い讃岐国・屋島の浦へ着き、日も暮れてきたので塩屋に立ち寄り待っていると、主である漁翁と若い漁夫が帰ってくる。僧一行は一夜の宿を乞うと断られるが、都の者だと知り懐かしみ泊めてくれる。僧の頼みで漁翁は屋島での源平合戦の様子を語り出す。義経の勇士ぶり、景清と三保谷の錣引、佐藤嗣信が義経をかばって能登守教経の矢先に倒れた最期など、余りに詳しく語る漁翁に旅僧が名を尋ねると、義経の霊であるとほのめかし消え失せる。塩屋の本当の主が現れ屋島の合戦のことを聞き眠りにつくと、甲冑姿の義経の霊が現れ「弓流し」の様を再現し、修羅道での責苦の戦い、また教経相手の激戦の様子を語るが、夜明けとともに消え失せ浦風だけが残っていた。

 

みどころ

『平家物語』の有名な屋島の合戦を題材にした代表的な修羅物。軍話を中心に勝利者側からのさわやかな作品。前場では屋島の浦ののどかな景色を背景に古戦場の哀愁や漁翁の懐かしい昔話、後場では一転して現実の戦場の様子を見せる。

お囃子方、そして地謡方、後見ともに橋掛りから登場された。雰囲気満点。そしてワキの登場。さらにしばらく時をおいて、シテ、シテツレの登場。今までに見てきた薪能は、演者がマイクを装着していたのだけれど、今回はマイクなし。それでもさすがに能役者、声は舞台を超えて観客席にまで響き渡る。これにまず感動した。やはりシテの林宗一郎師の声は抜きん出てどっしりと力強かった。アイの茂山逸平師の声もいつもながら愛嬌がある。

森田保美師の笛がしみじみとして、いかにも義経の想いに寄り添っていた感じがした。この曲ではどちらかというとお囃子は目立ってはいけないのかもしれない。

 

「名こそ惜しめ」という武士の気概。流れる弓矢を命を賭してまで、馬を波間に進ませた義経の姿が、それを余すことなく伝えている。でも武士はあの世では修羅道に堕ちるしかない。この虚しさ。この世では武勇を貫き通し、それゆえに讃えられた。しかし死後は修羅となって苦しまなくてはならない。冷徹な目でそれを見据えている作者世阿弥が浮かび上がる。でも、」やはりglorifyしているんですよね、義経を。名を惜しんだ義経を。

義経の哀しみがしみじみと伝わってきた。栄光と悲惨とが裏表になって、後場の義経の美しい姿に映り込む。この衣装、素晴らしかった。特に紺に金線模様の法被(?)が下に着た半切(着物)に映えていた。チラシに載った写真をアップしておく。

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会場の関西セミナーハウス、大学生だった頃にここでアルバイトというかお手伝いをしたことがあり、懐かしかった。その時一緒だった友人は今も京都に住んでいる。でもここまで駅から遠いとは、すっかり忘れてしまっていた。叡電の修学院から歩いたのだけれど、上り坂がかなりきつかった。帰りはバス停まで歩いた。歩いていたのはたった五人だけだった。途中までご一緒した方と、「私たちだけなんですね、歩いてるの!」って笑いあった。ちょっとはるか昔に還った気がした。