yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

番外仕舞の醍醐味を味わえた三つの仕舞 in「秋の碧道会」(田茂井廣道師の社中会)@河村能舞台11月15日

社中の者ではないのに厚かましくもお邪魔させていただいた。番外仕舞がお目当て。林宗一郎師の「碇潜」、味方團師の「放下僧」、そして田茂井廣道師と河村和晃師の「舎利」が素晴らしかった。

林宗一郎師の「碇潜」は歌舞伎でいえば『義経千本桜』の「碇知盛」の場に当たるもの。知盛の潔くも豪快な飛び込みの場を演じられて、さすがと感動した。歌舞伎と違ってドラマ性は極力捨象され、知盛の差し迫った状況と真理に焦点を合わせた舞になっていた。それでも緊迫感に満ちていた。特に宗一郎師がくるっと回転し、どっと着地するところに、また最後に崖の上から飛び込む際の悲壮感に、知盛という武将の悲愴が余すことなく描かれていたように感じた。これはお若い方にしか可能ではない演技だと感じた。とにかく凄まじかった。私が以前に感動した歌舞伎の現幸四郎演じる「碇知盛」を想起した。やはり「時分の花」というのはあるのだと、納得させられた。

味方團師の「放下僧 小歌」は今までに見てきたものとは一味も二味も違っていた!特にかまえの美しさが秀逸だった。それと、勢いというか、ズズッと前に出てくる感じにシテの覚悟のようなものを感じた。

田茂井廣道師と河村和晃師の「舎利」もさすがと思わせるもの。奪った舎利を懐に持って空を逃げる足疾鬼とそれをさせまじと追いかける韋駄天。この二人の攻防がとてもリアルに、それこそ劇団☆新感線の舞台さながらのリアリティで演じられてワクワクが止まらなかった。息の合わせ方が完璧。さすが同門と思わせられた。しかも舞台でのchaseがまるで今ここで起こっているかのように錯覚してしまうほどの舞台。新時代の能の一つのあり方として、一つの実験を提示されたような気さえした。

この社中会ですべてをさらって行ったのは田茂井廣道師のご子息、田茂井律朗君だったかもしれない。まだ5歳くらい?愛嬌もよく、まったく物怖じせずに堂々と舞い、また謡うのはただあっぱれ。気分が一挙に舞い上がった。将来が楽しみな逸材ではある。