こちらも世阿弥作。前場の汐汲みの翁が後場では貴公子に変貌するコントラストに妙がある。とはいえ、宗一郎師のシテは前場の翁も、後場の貴公子もいずれも優雅そのものだった。
前場、汐汲みの桶を両天秤に担いで登場した老人は、その姿に似合わないどこか風情のある趣である。また物知りで、なぜ海辺でもない京の都で、汐汲みをしているのかと訝しがる東国の僧に、六条河原院の由来を語って聞かせる。六条院は融の大臣と呼ばれた源融の屋敷跡で、庭は陸奥の塩釜そのまま模して作られていると。百人一首収録の源融の歌、「陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに」にもあるように、融の大臣が陸奥への思い入れがあったことを踏まえてもいるのだろう。
翁はかっては華やかだった融の大臣の屋敷跡が、今では荒れ果てていることを嘆き、昔日の栄華を恋しがる。そして問われるままに音羽山、中山清閑寺、深草山、大原、伏見、嵐山等々、京都の名所解説をしてみせる。
後場、中将面をつけ美しい山吹色(?)の狩衣姿で登場したシテ。彼は明らかに若者で、「光を花と散らすよそほい」という言葉通りの若々しい舞姿をみせる。
地謡 ここにも名に立つ白河の波の
シテ あら面白や曲水の盃
地謡 浮けたり浮けたり遊舞の袖
とあるように、地謡とシテの掛け合いの中に舞が進む。「白河」はもちろん福島県の白河。「曲水の盃」とは曲水の宴*1で交わす盃のこと。なんとも優雅な貴族の宴。
ここで長めの舞が入る。所作は悲しくなるほど麗しい。かって貴公子はかくあったであろうことを想像させる融の舞。シテと地謡の掛け合いは、まるで詞の魔術。魔術師、世阿弥の面目躍如たる「幽玄」界が展開する。
ついにシテは、舞と謡の余韻の中を楚々とした風情で消えてゆく。
演者一覧をあげておく。大鼓のみが社中の方。
シテ 林宗一郎
ワキ 有松遼一
アイ 山口耕道
小鼓 曽和鼓堂
大鼓 石田謙作
太鼓 井上敬介
笛 杉信太朗
後見 浦田保浩 大江又三郎
地謡 河村和晃 河村和貴 梅田嘉宏 松野浩行
田茂井廣道 橋本擴三郎 河村和重 河村晴久