yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「幽花会秋季大会」(片山伸吾師社中会)での社中の方の能『鵜飼』がすばらしかった!

『鵜飼』のシテを務められた木村厚氏は2017年の幽花会では『屋島』を、昨年の幽花会では『融』のシテを演じられた。このブログの記事にしている。昨年のものをリンクしておく。

www.yoshiepen.net

社中会での能のシテは年配女性がされることが多いのだけれど、木村厚氏はその方々よりも若い世代だと推察している。キレのある舞で、とても素人?とは思えない。松明を持って登場する出端から、物々しさ、そして悲しみをまとっておられるのにただ感心。想像するに、シテを本業とされる方でもこの出端は難しいはず。素人ならなおさらで、きちんと登場するだけでも、一声を発するだけでも緊張で身体が萎えてしまうのではないだろうか。それをこの堂々とした登場、しかも清涼感がある。

殺生の罪悪感に苛まれつつも、鵜を使う快楽に抗いがたい想いを吐露する鵜飼。その心理に深く入り込むのは、さすが世阿弥作の作品である。苦悩と悦楽の間を行き来する鵜飼の心理状態。演じるにはその鵜飼に寄り添って、もっというなら自らに鵜飼を憑依させて演じなくてはならないだろう。その重圧に耐えながら、演じきられたシテ。なんともいえない空虚感が漂う。鵜飼は果たして救われるのか。会場はしばしシンとしていた。

そして後場、こちらは沈潜した前場とは趣きがガラッと変わって、跳ね回るシテになる。閻魔大王を前場では鵜飼だったシテが演じるというのが救いに感じられた。鬼の雰囲気が撒き散らされるのが、逆に心地よい。閻魔様の豪快さが表されている豪華絢爛な衣装が素晴らしい。結構近い席だったので、見入ってしまった。

前場を逆転させた感のある後場。ここに世阿弥の鵜飼に対する想いやりがのぞいているような気がした。鵜飼に自らを重ねていたのではないだろうか。シテの木村厚氏は、その世阿弥の想いを自身に課されて演じられていたように感じた。

演者一同を以下に。

前シテ   鵜飼の老人  木村 厚

後シテ   閻魔大王   木村 厚

ワキ    旅僧     江崎欽次朗

ワキツレ  同行の僧   松本義昭

アイ    里の男    茂山 茂

 

笛     杉信太朗

小鼓    成田 奏

大鼓    河村 大

太鼓    前川光長

 

後見    片山九郎右衛門 片山伸吾 田茂井廣道

 

地謡    武田邦弘 青木道喜 古橋正邦 河村博重

      味方 玄 橋本忠樹 梅田嘉宏 河村和貴