非常に充実した社中会だった。さすが片山伸吾師の社中の方々。とくにこの能のシテを演じられた木村厚氏ほとんどプロといってもいいほどの巧さで、唸らされた。技術的なことだけでなく、主人公、融の置かれた環境と心理状態を描いておられるところに唸らされた。
社中会での能のシテはほとんどが年配の女性。以前に味方團師の社中会で高田貴美彦氏がシテを演じられた『鵜飼』が素晴らしく、記事にもしたことがある。やはり男性が、それもあまり年齢が高くない方が演じられると迫力がある。今回の木村厚氏のシテも素晴らしかった。
演者の方々をアップしておく。
前シテ 汐汲みの老人 木村 厚
後シテ 源融の霊 木村 厚
ワキ 旅僧 有松遼一
アイ 都六条辺の者 小笠原 匡
後見 青木道喜 片山伸吾 田茂井廣道
笛 杉信太朗
小鼓 吉阪一郎
大鼓 河村 大
太鼓 前川光長
地謡 片山九郎右衛門 武田邦弘 橋本礒道 古橋正邦
河村博重 味方玄 橋本忠樹 梅田嘉宏
世阿弥晩年の作ということで、華やかというよりも沈潜した悲しみがつよく全面に出た舞台になっている。華やかだった全盛期を偲んで、思いを馳せるというのが核になっている作品。その記事の一部を、自分の記事を引用するのは面映いのではあるけれど、引用する。
源融は政治的には晩年不遇をかこったとか。世阿弥以前にも融を扱った能はあったものの、それらは「現世への恨み、怨念といったものに注目し、妄執ゆえに地獄に堕ちて苦しむ融の姿を描いた能」(「銕仙会」の「みどころ」より)であったという。その融を、世阿弥は違ったアプローチで描き出したわけである。「妄執」をテーマにするのではなく、過ぎ去った栄華への追憶とふたたび戻ることのない過去への愛惜の念が、より強く前面に押しだされている。
シテのみが素人の方で、あとは全てプロ。それもトップクラスの方々ばかり。演者冥利につきるだろうけど、緊張もハンパないだろう。それを演じきられた。特に後場の融の身体、頭の微妙な動きが素敵だった。
この社中会のプログラムがとても親切なものだった。全ての番組に解説と地謡を含む演者一覧がついていた。
先ほども書いたけれど、社中の方のレベルが非常に高く、最後まで見たかったのに、居住マンションの理事会に出なくてはならず、中座したのが口惜しい。とくに最後の片山伸吾師とご子息の峻佑さんの番外仕舞を見逃してしまったのが残念だった。