山崎氏の著作を見ると、「やわらかい」という語の付いたものがいくつかあるのだけれど、山崎氏の思考を表現するのにもっとも適した言葉ではないだろうか。柔軟なフットワークの良さ。学者然としていないゆえの親しみやすさ。それはこの日の二人の応援講演の講師にも言えることだったかもしれない。鷺田清一氏と天野文雄氏のお二方。お二人とも大阪大学の名誉教授。でも「名誉」的な傲岸さとは無縁でおられるようにお見受けした。わかりやすい、そして学術的にも素晴らしい応援公演をされた。こういう経験は日本の学会では今まで経験しなかったので、感激してしまった。
山崎正和氏ご本人の基調講演は「社交と思考」というタイトルのもので、タイトルからして韻を踏んでいるのがおしゃれ。学問というものは学際的であるのが必然であり、それを生み出すには共同体が不可欠であるとのこと。それも制度的な共同体ではなく、「遊戯的」、「社交的」な共同体からこそ、面白いものが生み出されるのではないかというお話だった(誤解があればご容赦)。
いわゆる体制に属する学者からは、こういう発想は生まれない。山崎氏のことをゴリゴリの(?)体制派だとみなしていた私にはショックだった。そうなんですね、こういう方だったんですね。
山崎氏原作の劇『世阿弥』を解説された天野文雄氏。綿密な資料を作成、非常にgenerousなかつ詳細な資料提供がありがたい。上演されるのを残念ながら見ていないので、どのような舞台だったのか憶測の域を出ないのだけれど、上演されることがあれば、ぜひ見たいと思わせるものだった。ひとえに台本に詳しい解説をつけてくださった天野氏のおかげである。
講演後の鼎談が講演以上に興味深かった。というのも守屋毅氏への言及があったから。守屋先生の著作、『近世芸能興行史の研究』、『近世芸能文化史の研究』はエポックメイキングな研究成果。47歳で亡くなられたのだけれど、その折にこのお三方がちょうど阪大におられて、彼のあまりにも早い死を悼まれたことを知った。涙が出そうになった。守屋氏と私ごときは何ら係りのないのではあるけれど、その研究業績の素晴らしい一端を知ることができたから。彼が存命だったら日本芸能史研究が今とは違ったものになっていたかもしれないと思うから。
ともあれ、山崎正和氏も鷺田清一氏、天野文雄氏も元日文研所長の山折哲雄氏とは親しく(?)なさそうでホッとした。山折氏が2013年に「皇太子殿下、ご退位なさいませ」を『新潮45』に発表していたことを最近知ったから。川島辰彦と友人らしい。根拠のない実にショーもない記事。そういえば昨夏ロンドン大に日文研経由で来ていた関東の大学教員も、本当に「研究」で来ていたのか疑問だった。滞在中はずっと英会話学校に行っていたんですからね。日文研が幾らかでも費用を出していたら、軽蔑。まるで『文学部唯野教授』じゃないですか。