yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

横道萬里雄著『能劇の研究』(岩波書店、1986年刊)

横道萬里雄氏の能楽研究の集大成とでもいうべき書。図書館から借りだし、間もなく返却期日がくるので、改めてスキミングしている。とはいえ、ここに書かれていることを読み込み、消化するにはさらなる時がかかる。古書で入手しようかと考えている。能の研究書としては類をみないほど包括的なもの。すべての章が示唆に富んでいて、少し読んで立ち止まり、じっと考え込んでしまうことの連続。ざっとめぼしい章題を見るだけでも、その奥行き、深さに圧倒される。

能本の戯曲性
夢幻能について
能本の構造

能の音楽
囃子事
能と能舞台

このあたりまでが私がやっとこさ「カバー」できた範囲。その由来、歴史を含む「能」全体を俯瞰するアプローチがまずある。それに能をまるで解剖するように(彼自身の辞)構造分析するアプローチが加わる。この二つがうまく絡み合って、立体的な研究書になっている。

能の芸能としての特殊性と普遍性、それを様々な切り口で明らかにしようとしている。一見構造主義的だけれども、でもスタティックでなくダイナミックな論の進め方はまさにドラマチック。さすが演劇の方だと思った。だから専門書なのに、読んでいるとイメージだけでなくシーンが浮かび上がる感じ。楽しい。ただし専門に淫したところは、理解できたのかどうか怪しいけど。

「その通り!」と思わず膝を叩いたのが第1章最後の以下の箇所。

用語にかぎらず、芸能研究の現状はあまりにもばらばらである。それぞれが狭い専門分野に閉じこもって交流がない。能研究者は歌舞伎を知らず、歌舞伎研究者は人形浄瑠璃を知らない。音楽研究者は目をつぶって音のみを追い、文献研究者は舞台そっちのけで書物をめくる。これで本当の研究ができるのだろうか。芸能の研究者のひとりとして、わたくしはいまそのことに深く思いをめぐらしている。

自身も研究者としてだけでなく、能の新作を書いた横道萬里雄氏らしいことば。イェイツの『鷹の井戸』を能に脚色した『鷹の泉』、『鷹姫』を世に送り出した。彼の演出、それに観世寿夫さん、野村万作さんで初演されている。彼は書斎にこもりっきりの人ではなく、芸能の原点に立ち返り、それを実際に演じる人だったんだと納得した。きっと永遠に新しい「能」、常に変わり続ける能の一つの見本を提起したのだろう。そういえば最近もどこかのグループがこれを上演したと聞いたような。