yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

観世清和師の『翁』in「京都観世会1月例会」@京都観世会館 1月12日

『翁』を初めてフルで見たのは3年前の1月3日、八坂神社での奉納能でのこと。シテ翁を金剛流宗家の金剛永謹師、三番三を茂山茂師が演じられた。シテの白色尉、三番三の黒色尉の面、それに三番三による鈴ノ段での能らしからぬ派手さが印象的だった。あとで能成立以前の古い芸能の形を残した能だと知り、なるほどと納得した。その後、大阪天満宮でも見たけれど、同様の感慨を持った。古層を顕現しているとか。非常に特殊な能で、まだまだ解明されていない部分が多いらしく、研究者にとっては避けて通れない格闘しがいのある能のようである。

そして今回の『翁』である。やはりこの能は特別らしく、これも観世流宗家の観世清和師がシテ。千歳を大江広祐師、面箱持を山下守之師、三番三を茂山茂師が務められた。片山九郎右衛門師は地頭だった。

舞台上部にはしめ縄が張り巡らされている。舞台そのものが「神殿」の想定であることがわかる。しかも、古式ゆかしいというのか、普段見慣れた能の舞台とは、舞台設定、内容構成、その展開と終結の仕方がまったく異なっていて、一種異様な感じがする。その異様さは面を舞台上でつける儀式めいた場面、三番三の賑やかな舞等でも現れている。神への奉納儀式であるというのが、これらから伝わる仕組み。

それを増幅させるのがお囃子方の装束と人数。全員が烏帽子の一種である 舟形侍烏帽子をかぶっている。小鼓方は三名—大倉源次郎・吉阪一郎・上田敦史各師。大鼓は石井保彦師、笛は森田保美師、太鼓は前川光範師。みなさん緊張されていた。地謡は普通なら舞台上手に座るが、ここでは舞台後方、お囃子の後ろに着座されていた。それだけでもかなりのインパクト。舞台を大きく見せていた。 

観客にも「始まると出入り禁止」と注意があった。緊張感が舞台だけではなく、客席にも漂っていた。以下に「能.com」から拝借した進行次第の一部を引用させていただく。

幕が上がると、橋掛りから面箱を先頭に、シテ(翁)、千歳、三番三(三番叟)、囃子方ほか各役が順に舞台に入ります。金春、金剛、喜多の三流では面箱が千歳の役を兼ねるため、役者が一人減ります。

シテは舞台上で深々と礼をした後に着座します。三挺の小鼓と笛の囃子が始まってからシテは謡を始め、地謡との掛け合いに入ります。その後、千歳が舞います。千歳は露払い(先導し、道を歩きやすく拓く者)の役を担います。この舞の間に、シテは翁面をつけて翁の神に変身します。

翁が進み出て舞い、舞が終わると翁は面を外し、再び舞台上で深く礼をし、その後、翁と千歳は橋掛りより退出します。これを翁帰り(おきながえり)と呼びます(金春、金剛、喜多の三流では千歳は退出しません)。

直面(ひためん)の三番三(三番叟)が登場し、「揉(もみ)ノ段」を舞った後、黒式尉(こくしきじょう)の面をつけ、面箱と問答を行った後、鈴を渡され、今度は「鈴ノ段」の舞を舞います。

 清和師のシテはやはり格式を感じさせた。派手な動きはないのに、翁がそのままそこにいる感じ。『翁』のシテはおそらく無駄な動きを禁じられているのだと思う。だから若い役者には無理かもしれない。自分の解釈を入れたくなるだろうから。私個人はどちらかというと解釈を入れて演じてほしい方だけれど、でもこういう古い演目はそれを赦したら、収集がつかなくなるのかもしれない。清和師はごく自然体で、悠々と演じられた。そこには別の「解釈」が介在することを極力廃するそんな意思を感じた。そしてそれは、次の脇能の『養老』へと続いて行っているように思った。

以下にこの日のチラシ表と演者一覧、解説のついた裏をアップしておく。この日は『翁』を含む能三本、狂言一本というウルトラ・インテンシヴなものだった。

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