yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

梅田嘉宏師シテの『菊慈童』in「片山定期能四月公演」@京都観世会館 4月23日

公演チラシの表と演者一覧と演目解説の載った裏をアップしておく。

『菊慈童』はシテ、ワキ、囃子方共に若い演者で、清新感があった。梅田師のシテ、菊慈童は可憐な慈童だった。祝祭性に溢れているのだけれど、シテのふとした様子に悲哀が滲む。それが最も見応えのあったところだった。

場所は酈縣山(架空の山)の麓。時は魏の時代。不老不死の酒が湧き出ると聞いた時の王が勅使をこの山に派遣してきた。勅使たちが麓の庵で出会ったのは、一人の童子。訝しがる勅使たちに、自分は七百年前周の穆王の時代に、王の枕を跨いで酈縣山に流刑になった王の寵童だと打ち明ける。さらに、彼が王から枕を授けられた枕に神秘の妙文=法華経の経文を書き付けたところ、そこから滴る露が霊薬となり、不老不死となったという。まるで童話のような、それでいて神話の香りもする話である。

シテの菊慈童は神秘の妙文の功徳を讃えて、舞い始める。やがて興が乗り、ところ狭しと遊び戯れる。まるで菊の妙香が漂ってくるようなこの場面のシテの舞いが美しかった。細身の梅田師のが舞台前面に据えられた台の上に乗ったり降りたりする流れもスムーズで見惚れた。

妙文を勅使たちに託して、自分は山の中に消えてゆく様はまさにイノセンスの象徴のようだった。