例によって、「銕仙会」の能楽事典から曲解説を引用させていただく。
<内容>
作者 観世信光
場所 京都一条大宮
季節 春
分類 三番目物
<概要>
僧侶の一行(ワキ・ワキツレ)が京都 一条大宮に至り、由緒ありげな邸宅で梅の花を観賞していると、一人の女(シテ)が現れ、この梅は貴族たちも賞玩している名木なのだと教える。そして女は、実は自分は胡蝶の精で、法華経の功徳に預かろうとこうして現れたのだと告げ、胡蝶にまつわる様々な故事を語ると、姿を消してしまう。やがて、梅の木の下でまどろんだ僧たちの夢の中に胡蝶の精(後シテ)が現れ、仏法の力によって救われる身となったことを告げると、梅の梢を飛びまわり、優雅に舞い戯れるさまを見せる。
演者一覧は以下。
前シテ 都の女 河村博重
後シテ 胡蝶の精 河村博重
ワキ 旅の僧 江崎欽次朗
アイ 都の者 善竹隆司
笛 赤井啓三
小鼓 竹村英雄
大鼓 谷口正壽
太鼓 前川光長
後見 片山九郎右衛門 河村晴久
地謡 谷弘之助 河村和晃 大江泰正 橋下忠樹
大江信行 味方團 片山伸吾 橋下光史
シテが橋掛りから登場した瞬間、可憐が浮き立っていた。博重師は小柄なのにもかかわらず、声の張りが大きく、かつ朗らか。軽やかな舞姿はまさに胡蝶そのものだった。前場の途中からは面に少女が乗り移っているようだった。可愛いかった!
面と衣装がよりきらびやかになってする後場でも、その軽やかさは生きていた。ちょっとぐらっとするところも一二回はあったけれど、それも舞の中に組み込まれていると感じさせられるほどだった。きらびやかな衣装にもかかわらず、どこか可憐さがしのばれる。そんなシテだったので、それだけでもこの演目を見た甲斐があった。
信光作とのことだけれど、お囃子は大人し目。太鼓も煽るように鳴り響かない。あくまでもどちらかというと穏やかなシテの舞を保証する感じである。こういう能も作っていたのだと、改めて信光の才の幅を思った。
「銕仙会」能楽事典によると、『源氏物語』中の紫の上と秋好中宮とが交換した和歌も採り入れられているという。以下。
花園の胡蝶をさへや 下草に秋まつむしは疎(うと)く見るらむ (紫の上)
胡蝶にも誘はれなまし 心ありて八重山吹(やへやまぶき)を隔てざりせば (中宮)
また、『荘子』から故事「胡蝶の夢」が引かれているとのこと。夢をみた荘子が「夢から覚め、自分が荘子であったことに気づいた。しかし、これもまた夢なのかもしれない。本当は人間で、蝶になる夢を見ていたのか。それとも本当は蝶で、人間になった夢を見ているのか。そのどちらであったとて、本質的には変わらないものなのだ」と覚醒したエピソードである。そういえば「胡蝶の夢」という歌があったような。人口に膾炙していたんですね。