以下が当日の演者一覧と概要。
前シテ 里女 味方玄
後シテ 胡蝶の精 味方玄
ワキ 旅僧 福王知登
ワキツレ 従僧 中村宣成
ワキツレ 従僧 是川正彦
アイ 一条辺りの者 網谷正美
笛 杉信太朗
小鼓 曽和鼓堂
大鼓 谷口正壽
太鼓 前川光範
後見 小林慶三 片山伸吾 梅田嘉宏
地謡 古橋正邦 河村博重 分林道治
深野貴彦 河村和貴 河村浩太郎
概要
季節は初春。僧の一行(ワキ・ワキツレ)が京都 一条大宮を訪れ、古さびた由緒ありげな邸宅で梅の花を眺めていると、一人の女(前シテ)が現れた。内裏にも程近いこの地の梅は、いにしえの貴族たちも賞玩していた名木なのだと教える女。実は彼女の正体は、蝶の精霊。花々に心を寄せる蝶も、寒中に咲く梅花にだけは縁がなく、その悲しみからの救済を願って現れたのだった。彼女は法華経の功徳にあずかることを願うと、いにしえの古典に詠み込まれた胡蝶の身の栄誉を思いつつ、後刻の再会を約して姿を消す。
経を手向け、梅花の蔭にまどろむ僧たち。その夢中に、蝶の精(後シテ)が真の姿で現れた。心なき草木までもが救われるという法華経の力によって、嘆きを晴らすことの叶った彼女。彼女はその喜びに花々の間を飛びめぐり、優雅に遊び戯れるのだった。
チラシの表・裏をアップしておく。
時間を短縮するため、もともと予定されていた演目が変更されている。でも狂言も仕舞もきちんと納められていて、見応えがあった。演者の方々の、なによりも片山九郎右衛門師の並々ならない意気込みが感じられた。ロビーには九郎右衛門師自ら筆をとられた「挨拶文」が掲げられていて、感動した。とくにご両親への言及に、思わずホロリとしてしまった。お母上が昨年他界されたことを知らなかったので、余計に胸に迫るものがあった。
能『胡蝶』をフルで見るのは初めて。仕舞では何度か見ているけれど。楚々とした可憐さは鳥肌ものだった。小次郎信光作というけれど、派手なところがない。それでも華やかさが匂い立つ感じがするのは、清楚でいて華麗な衣装が見事だから。そして何よりも、見るものを惹きつけてやまない演者の滑らかな、軽やかな舞の効果だろう。前場の衣装、着物の上に羽織った紗の衣が目にも鮮やかなアイボリー。紅葉の模様が描かれている。シテの玄師の伸びやかな舞に連れてひらひらとするところは、まさに蝶の舞である。そのひらひらは見る者を催眠術にかけてしまう。現実と夢の世界の間を揺蕩う感がある。この何ヶ月かの自粛期間、これに飢えていたんだと改めて思った。
橋掛りから登場されたところから、その美しさに圧倒される。これといって特別な所作をするわけではないのだけれど、この女の存在感が匂い立つ。只者ではないという印象が強烈である。
前場、詠嘆の場、「来る春ごとに悲の 涙の色も紅の 梅花に縁なき此身なり」での所作が美しくも哀しい。
冠をつけて登場の後場は、中ノ舞がすばらしい。信光作とは思えないほどの抑制された舞。それでいて見る者を催眠状態に引き込む(mesmerizing)。「急」部がそれほど激しくないのだけれど、それでもこちらを巻き込んでしまうだけのエネルギーは放射されている。それも持続するエネルギーである。
この催眠状態を抜け出たくなかった。現実に戻るのが惜しかった。それでも終わりは来た。場の雰囲気を惜しみながら、観客は退出して行った。
「片山定期能」も「京都観世会例会」と同様にあらかじめ綴りの前売り券を購入していた人のみ対象の抽選があり、私はラッキーにも当選したので参加できた。当日券はない。当日の観世会館では席は厳重に管理されていて、200名に抑えられていた。かなり少なめの観客で混雑はなかったけれど、やっぱり残念感があった。最近京都でも感染者が増えているので、このような制限は今年いっぱいは続くのかもしれない。抽選となると、行きたい例会、定期能に参加するのが難しくなる。それでも参加でき、その場に身を置いて、素晴らしい舞台を見ることのできる幸運に感謝したい。
それと、当日ロビーに置いていてあったチラシにすごい情報が。なんと「名古屋片山能特別公演」(9月5日、午後2時から)がオンライン配信されるらしい。演目は『弱法師』(シテ 片山九郎右衛門)と『殺生石』(シテ 味方玄)というまさに垂涎ものの舞台である。このお二人は現在の能を代表するトップ演者であると、私は密かに信じている。興味おありの方は、「片山能制作委員会」にアクセスを。無料配信である。