yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

三浦春馬さんには『Toxic Parents』(「毒親」Bantam Books,1989/8/1)を読んで欲しかった!

彼の訃報を聞いたとき、心に引っかかるものがあった。その理由が家族、とくに母親との関係にあるのではないかと直感した。今日電車の車中で、それを思わせるネット記事を読み、その可能性があることを知った。もちろん春馬さんご本人は亡くなっているので、確かめようもない。また、そういう詮索をするべきではないというコメントも散見された。それでも、やはり、彼の死を無駄にすべきではないと思う。その背景を知ることで、類似体験に苦しむ人が自ら命を絶つのを防げるのではないかと思うから。

タイトルに入れた『Toxic Parents』(直訳すると「毒親」)を読んだのは旅行中のエディンバラのホテルでのことだった。ホテル近くの書店で買ったばかり。衝撃を受けて、一気に読み通した。当時、そのような母・子の共依存関係を問題視する研究はなされていなかった。少なくとも日本での出版物はなかったと思う。なぜ親子関係を精神分析的に掘り下げるということが、日本ではないのだろうと訝しく思っていたら、何年か経ってから翻訳が出版され、それ以降「Toxic Parents」直訳の「毒親」という語が流通するようになってきている。それまで日本で隠れていた(隠されていた)事象がオープンになるようになったということだろう。「親が子供にひどいことをするはずがない」なんていう「神話」が流通していたのがそれまでの日本社会だったので、これは画期的な変化と言うべきか。しかも「毒親」のほとんどが母親なんですよ。母親に苦しめられる息子・娘がどれほど多いことか!

泣きながら読んだ記憶が甦ってきた。副題が「Overcoming Their Hurtful Legacy and Reclaiming Your Life」の通り、「いかに毒親から解放され、自分自身を取り戻すのか」が主テーマである。全米の親に苦しむ人たちを取材、彼(女)たちが、親の縛りから自由になった(あるいは失敗した)実例が詳述されている。当時まだまだ親の縛りから解放されていなかった私は、それらの実例をどれほど心強く思ったことか。毒親とそれに隷属させられる子供という組み合わせは、本人たちが自覚していないぶん、解決が難しい。親はあくまでも「子のため」を標榜し、子供は「親に逆らうなんて人非人のやること」なんていう共同幻想に生きているので、これを断ち切るのは、子の側からのよほどの決心が要る。ほとんどの場合、子供は怯み、結局は親の言いなりになってしまうという。ただ無惨、そして悲しい。

私の場合はお金の無心はなかった。むしろその逆で、お金をかけてくれた。けれど、メンタル面で完全に母親に支配されてしまっていた。母は独善的で、家族が精神面で奴隷になることを(無意識であったにせよ)要求する人だった。夫も娘たちも彼女の勢力下に抑え込もうとした。

親(多くの場合母親)は、経済的、もしくは精神的に子供を支配する。経験したことのない人には理解不能なのだろうけれど。私も友人、知人にわが親のような支配的親をもつ人は皆無だったので、なかなかこちらの「苦境」を理解してもらえなかった。 

三浦春馬さんもおそらく友人に彼と同じような親体験を持つ人がいなかったのだろう。あるいはそこまで踏み込んで赤裸々に話しをできる人がいなかったのだろう。同質の体験をしていても、それとは気づかない人がほとんどなのかもしれない。加えて、春馬さんはあまりにも繊細だったのだろう。親が代表する現実の「醜さ」を、真正面から受け止めてしまったのでは。親のエゴと金銭欲。あまりにも醜い現実。実務的に割り切って、金銭で済ませることができれば「大人」なんだろうけれど、それに疲れ果ててしまったのかもしれない。

こういう大人から自分自身が「出てきた」ことへの嫌悪感が強烈だったのかもしれない。自身も「唾棄すべき」この程度の人間に連なる「ツマラナイ」者なら、いっそのこと「抹消」(抹殺)してしまえ!そう思ったのだったら、本当に残念だし、悔しい。

『Toxic Parents』を読めば、毒親から解放され、自由に生きている人の実例が多く出ている。読んで欲しかった。親は重い。でも断ち切ることは倫理に適っているんですよ。あなたと親とは違うのだから。親を否定することは、あなた自身の否定ではないんですよ。だから、自分を親から解放してあげましょう。自分を愛してあげましょう。親が愛してくれなくても今の自分が幼かった自分を愛する(cherish)することは可能なんです。10歳の自分の頭を撫でて、「大丈夫、あなたは自分らしくいきて行く!ほら、そうなったでしょう!」と言ってあげてください。

Yahooには驚くほど多くの人が似たような親体験を持っているのがわかるコメントがアップされていた。その方々が、心より春馬さんの死を悼んでいるのが胸に迫った。悲しい、虚しい。なぜ防げなかったのだと思う。今更ではあるけれど。彼の作品をこれからじっくり見てゆきたいと思っている。