yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「令和」を賀ぐ

凛とした美しい元号、「令和」に決まってよかった。居住しているマンションの広報誌の4月末発行分の巻頭文が私の当番になっていたので、令和に因んだものにした。1月の担当分では「人生百年時代、観劇の薦め」なんてのを厚かましくも書いたので、その続きで「オペラ映画版の薦め」について書く予定にしていたところ、時期が時期なので、新元号について書くべきだろうと、急遽予定変更。こちらもちょっと図々しくあるかと思いつつ、あえて。

 五月には皇太子殿下が天皇に即位され、元号も「令和」に替わります。振り返れば「平成」は日本各地で大災害が多発した三十年間でした。昨年の「今年の漢字」はなんと「災」だったとか。果たして「令和」はどんな時代になるのでしょうか。

 「令和」の典拠は『万葉集』巻五に採録された「梅花の歌三十二首、并せて序」の「序」部で、太宰府で催された宴がその舞台だったとか。太宰府といえば、菅原道真公の「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」の歌でも有名ですが、ここでも梅花が立役者です。奈良・平安時代、「花は梅」だったことがよくわかります。また、「令和」典拠の「梅花の歌三十二首」には梅に雪を取り合わせたものが何首かあり、「梅と雪」の取り合わせもよくある趣向だったのでしょう。

 「梅と雪」で連想されるのが世阿弥作の能『高砂』中の詞章、「梅花を折って 頭に插せば 二月の雪 衣に落つ」です。この節は「悪魔を祓い、寿福を抱く」神舞へと続きます。そして最後には「千秋楽は民を撫で 萬歳楽には命を延ぶ」という祝言へと納められます。「高砂」がめでたい席で謡われる所以です。

 「令和」が、その典拠になった「初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き」という句が表象する凛として香り高い、そして「寿福を抱く」平和な時代になりますように!

f:id:yoshiepen:20140212121145j:plain

太宰府天満宮の「飛梅」(出典「ニュースサイトハンター」)

そもそも元号は近代になるまでは結構頻繁に変わっていた。元号を変えるきっかけというか理由の多くが、「災害の多発」であったようである。となると、今回の元号が変わるのは「必然」だったのかもしれないとも思う。

令和天皇に即位されるのが誠実な、そして国民に心から寄り添おうとされる皇太子殿下でよかった。また、皇后になられるのが聡明で美しい雅子妃殿下でよかった。外交官でいらっしゃったことをおいても、際立った華がおありである。私たちが誇れる皇后陛下になられるのは間違いない。意味のある皇室外交を展開してゆかれるに違いない。彼女を追い詰め、ほくそ笑んでいた卑しい人たちは、退場してほしいし、させるべきだろう。災いを平成のうちに祓い清めてほしいと切に願う。

 

令和の象徴がこのお二人なら、きっとその元号に相応しい時代になると心待ちにしている。