演能の前に歌人、林和清氏の「西行にとって桜とは何か」をテーマとした解説があった。「西行はなぜ出家したのか」、「西行はなぜ予言した日に死ぬことができたのか」をめぐっての解説はとてもわかりやすく、有意義だった。西行(1118-1190) という人への興味が掻き立てられたところで能、『西行桜』を見ると、また違った感興があった。今まで、西行をその歌(それもわずかですが)でしか知らなかったので。
林氏の解説によると、西行にとっての「桜」は彼の失恋相手は美貌をうたわれた鳥羽天皇の女御、待賢門院璋子(1101-1145)だという。いただいたチラシにはテレビドラマで彼女役だった檀れいさんの写真が。絶世の美女と謳われた璋子もかくやあるらんと思うばかり。
さらに、西行が予言したまさにその日に弘川寺で亡くなったのは、彼が水銀を微量ずつ摂取していたからではという仮説を提示された。弘川寺は修験道のメッカであり、近隣では水銀が採れたという。
この二つのエピソードを踏まえて『西行桜』を鑑賞することになった。当日の演者一覧は以下。
桜の老木の精:味方 玄
西行法師:小林 努
花見人:有松 遼一、岡 充、原 陸
能力:山口 耕道
笛:竹市 学
小鼓:吉阪 一郎
大鼓:河村 大
太鼓:前川 光長
地謡:河村 和重、河村 晴道、吉浪 壽晃
宮本 茂樹、樹下 千慧、河村 紀仁
後見:味方 團 河村 和貴
銕仙会能楽事典の解説にお世話になった。夜になって花見客が退出してからの舞台描写が素晴らしい。
客が去り、西行が老桜の前でまどろんでいると、舞台前面に置かれた作り物の中から桜の精が現れ出てくる。そして西行が詠んだ歌にあった「桜の咎」について西行に問いただす。その後、桜の精は京都の桜の名所を謡いこみながら舞を舞う。近衛殿の糸桜を皮切りに、千本通、毘沙門堂、黒谷、下河原、華頂山、霊鷲山(比叡山)、鶴の林(双林寺)、清水寺、音羽山、嵐山、戸無瀬と謡いこんで行き、大井川の堰に雪のように大井川の堰に豪奢にふりかかる桜の花びらで締められる。そのあとの序の舞があって、夜がしらむころ桜の精は消えて行く。西行は一人、あたり一面桜花びらの中にとりのこされる。
こう書くと、いかにもヴィジュアルな光景ではあるけれど、それはあくまでも美しい詞章とその伴奏であるお囃子が示すのみ。私たち観客はシテの舞と地謡が展開する謡によって感覚を研ぎ澄ましつつ、その光景を想像するしかない。眼前に提出されるのは、華麗な舞、躍動的なお囃子、起伏にとんだ謡ではない。あくまでも静かに、穏やかに進行する舞台である。でもその中にはっとさせられる舞所作、それをサポートするお囃子(特に太鼓)、そしてスポンジのようにシテの舞を吸い込んで行く謡ある。それらが紡ぎ出す美しい光景が浮かび上がる。
シテの味方玄師はこれが『西行桜』の披きであるとのこと。どこか初々しさが感じられたのはその所為?老木には見えなかった。もちろん声も仕草も全て一オクターヴ落としてはおられたけれど、華やかさが匂い立つのはさすが玄師。この場に立ち会えて良かった。対する西行役の小林努氏もお若い。そして華やかな雰囲気をお持ちの方。このお二方で見ることができて、これまた良かった。
そういえば、お囃子方も地謡方もいつもより若々しい布陣。初々しさがどこかに感じられた。これも嬉しい。
林氏の解説にもあったのだけれど、京都の桜名所が桜が咲く順に沿って挙げられて行く趣向が面白い。最初に挙がった「近衛殿の糸桜」は現在御所の中にあるとのこと。
帰宅してから、待賢門院璋子にネット検索をかけて調べたところ生没年が(1101-1145)と出てきた。ここでちょっと「あれっ?」と思った。西行より17歳も年上。23歳で出家した西行が彼女を見初めたとなると、璋子はその頃40歳になっていたはず。もちろんその年齢でも美しかっただろうけど、何か変。ひょっとしたら、西行が見初めたのは美福門院だったという説もあるらしい。それとも西行が懸想したのは、やはり中年期の璋子で、それが老桜の精に仮託されている?40歳は「老」」ではないですが、でもどこかにそのニュアンスを入れ込んだ?なんて、いろいろ想像を巡らしてしまうのも、ゆかしい。