二年前の大連吟で謡った「高砂」。思わず謡に同調してしまう。身体も共動してしまう。ウキウキ感が半端ない。神を言祝ぎ、天下泰平、五穀豊穣を祈る曲である。今まさに必要な曲と言ってもいいかもしれない。訳もなく嬉しくなり、全身高揚感に満ちてくる。とにかく楽しい。
林宗一郎師のずっしりと重く厚みと奥行きのある声が舞台に広がる。その舞は端正である。しかも力強い。メリハリがこれでもかというくらいに効かせられている。私は脇正面の後方だったのだけれど、それでも力量のあるエネルギーが押し寄せてきた。容赦ない力である。やはり若さのパワーはすごいと感心した。成熟途中というより成熟した上により高い何かを追求している、そんな感があった。
端正でいると同時に華やかさがあるのは、やはりこの日のプロジェクトにある「京風」なのだろう。清潔感と華やぎと同時に醸し出せる演者である。
お囃子方も充実。笛の左鴻泰弘師、小鼓の吉阪一郎師、大鼓の河村大師もおなじみの京都勢。しかも太鼓は前川光範師。「ひゃー」とかかる前川師の掛け声に興奮してしまう。畳み掛け、さらには煽り立てるようなお囃子の連打に、観客はおそらく催眠にかかった(mesmerized)はず。
地謡方も完璧。片山九郎右衛門師、浦田保親師、味方玄師、それに若手の大槻裕一師とこれ以上ない布陣。とにかくすごかった。この日この舞台に立ち会った神戸の観客はいつもの神能殿舞台とは違った感動をもらったはずである。ただ感動。
演者は以下である。
シテ 林宗一郎
笛 左鴻泰弘
小鼓 吉阪一郎
太鼓 前川光範
地謡 片山九郎右衛門 浦田保親 味方玄 大槻裕一
このコロナ禍であえてこの曲が演じられたことの意味を想う。