yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

ベン・ヒルズ著『Princess Masako Prisoner of Chrysanthemum Throne』の第1章から第5章までの要諦

第1章「The Men in Black」では、まさにこの副題の通り、雅子さまだけではなく、当時の皇太子殿下も囚われの生活をされていた」という仮説=大前提が立てられる。その証拠として、一つのエピソードが紹介されている。婚礼の晩餐会で皇太子殿下が雅子さまのHarvardでのTutorだったMcKibbin教授を自慢の庭に案内しようとしたところ、どこともなく5、6人の白装束男が現れ、皇太子は案内するのを断念されたというものである。「5、6人の白装束男」こそ、まさに宮内庁の「監視役」と推察される。つまり、大前提は「皇太子ご夫妻は囚われの身であられた」ということになる。

第2章「Daddy’s Girl」は、皇太子妃候補に上がった雅子さまの身辺調査の一つがお父上、小和田氏の出自を先祖にまで辿っての調査だったというところから始まる。「明治以降の近代社会では、立身出世の一つが官僚になることで、そのための高学歴が必須とされた」という前提を新潟の旧家出身の小和田恆氏に当てはめようとしたものだろう。

お母様の江頭恵美子さまとの結婚から始まり、雅子さまその妹さまたちの誕生へと続く。雅子さまがごく普通の青春時代を過ごされたところまでを海外の友人談を中心に書いている。それからこの章の表題にあるように、最後は雅子さまがお父上の外交官としてのキャリアを踏襲されたことで締めくくられる。

第3章「Mummy’s Boy」は徳仁殿下と雅子さまの婚礼で幕をあける。この後の情報の多くは英語でも公開されているもの、もしくは筆者の知り合いのジャーナリスト等から仕入れたもの。美智子前がどれほど週刊誌をはじめとするマスメディアに高い露出を図ったかを、改めて確認する羽目になった。

問題は、「皇太子時代の明仁が愛のない家庭で育ってきたのを不憫に思った美智子前が、色々な皇室の旧弊なしきたりを改めようとした」という言説を立ち上げ、その根拠に上のメディア情報を出してきたところはいただけない。前説の「天皇制そのものがいかに軍国主義とともにあったかを明治に遡って証明する」という視点はそれをサポートする目的で使われているのにも違和感を覚えた。

というのも、現在の私たちはこれとは全く逆の事実を知ってしまっているから。マスメディアを巧妙に利用した美智子前のポーズに、多くの国民がこの60年間騙されてきたことを。さらには、徳仁殿下は決して「Mummy’s Boy」でなかったことも。美智子前の教育方針の「ナルちゃん憲法」なんていうも言及があったが、幼い徳仁殿下の教育は濱尾侍従に任せられていたので、美智子前が介入はできなかったはず。こういういかにもメディア好みの話題を発表するところに、美智子前がいかにメディア戦略に長けていたかがわかる。

この章でよかったのは、徳仁殿下が内外の学友たち、教師たちから人格的にだけではなく学究的にも高い評価を受けていることを、first hand情報としてあげている最後の部分。

第4章「Magna Cum Laude」はもちろん雅子さまがハーバード大学卒業の際獲得された栄えある称号。雅子さまの学生時代をお父上のそれと絡めつつ明らかにしようとする試み。情報を当時の学友、教師から集めたものが多い。雅子さまは優秀であるという証言は山ほどあるけれど、その中でも高校生の頃から、日本の役に立ちたいとい想いを強く持っておられたえピソードなども語られ、印象深い。筆者はその伝手を最大限行使して、学生時代の雅子さまの実像に迫ろうとしている。もっとも読み甲斐がある章。この章だけでもそのまま翻訳してほしい。

もちろん友納尚子氏著『ザ・プリンセス雅子妃物語』にもこれらの情報の一部は使われているけれど、友納氏ご自身がそのあとがきで述べておられるように、これはヒルズ氏著作の翻訳ではない。全く別物。日本人がアクセスできる新しい情報が組み込まれ、構成も大幅に変えられている。何よりも視点は日本人ジャーナリストのもので、その目で取捨選択された情報のみを集めている。日本人読者にはおそらくヒルズ氏の著作のダイレクトな翻訳は歓迎されなかったと思われるので、賢明な選択である。内容も充実したもので、友納氏のジャーナリスト魂を強く感じた。

第5章

徳仁殿下の花嫁候補の規準とその狂奔劇。ここでさらりと「皇室にはKorean Bloodが入っている」なんて書いてあって、鼻白んでしまうのではあるが。

ここでも雅子さまの母方祖父の江頭豊氏が「会長」を務めたチッソの件が取り上げられているが、さすが正確に捉えられている。チッソが問題を起こしてから、その膨大な数の被害者を救済保障するのに、会社としてのビジネスを存続させる必要があった。チッソ経営立て直しのために、興銀から送り込まれたのが江頭氏だった。公害を20年にわたり垂れ流した張本人企業のチッソとはなんら関係がない人物であったことも、きちんと書いている。

江頭氏は被害にあった人たちの保障対策のために尽力されたわけで、非難されるどころか賞賛されてしかるべき銀行家。美智子前が未だにこの件を雅子さまいじめのネタとして持ち出してくるのは許しがたい。自分の妹が「第二のチッソ」を引き起こし、さらに悪質な昭和電工の安西家に嫁いでいることの方が、ずっと問題でしょ!しかも次男の秋篠宮がその妹の夫、安西孝之氏に瓜二つというのは、どう言い訳するんでしょうね。以前に例証」のために使った写真を再度アップしておく。左が安西孝之氏。

f:id:yoshiepen:20210301224025j:plain