yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

能『求塚』in「能・狂言の華をみる会ー京都大学観世会創立九十周年記念」@京都観世会館 9月19日

チラシの裏、番組表は以下。

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この前日はお稽古のあと、稽古仲間(芸歴、芸格プロ級の方です)のお宅にお邪魔して帰宅が午前1時半なんていうことになってしまった。翌朝のこの能公演は体調に自信がなく、最後の能だけ見ることにした。ということで、片山九郎右衛門師の舞囃子「養老」をミスってしまったのはかえすがえすも残念。でも久々に大倉源次郎師の小鼓をフルで聴けて満足。

そういえば先日の大槻能楽堂の社中会の際、気分が悪くなって能楽堂を退出したところで源次郎師とすれ違ったっけ。180センチを超えるすらりとした長身、すでに演奏の時の袴姿で颯爽と歩いてこられる姿は品良く美しく、眼福でした!人間国宝でいらっしゃいます。

改めて出演者の文字起こしをしておきます。

シテ     片山伸吾

ツレ     味方 玄

ツレ     片山峻佑

ワキ     宝生欣哉

アイ     山本則重

 

笛      杉 市和

小鼓     大倉源次郎

大鼓     河村 大

太鼓     前川光長

 

地謡     片山九郎右衛門 武田邦弘 浦田保親 古橋正邦

       深野貴彦 橋本忠樹 河村和貴 大江広祐 

後見     青木道喜 田茂井廣道 大江信行

加えて、例によって「銕仙会能楽事典」より演目概要をお借りする。

早春のある日。僧の一行(ワキ・ワキツレ)が生田の里に到ると、菜摘みの女たち(前シテ・ツレ)が現れる。女たちは僧を土地の名所へと案内するが、僧が“求塚”の名を出すや、女たちは一斉に口をつぐみ、菜摘みに興じつつ帰っていってしまう。ところが、その中の一人(前シテ)だけはその場に残ると、僧を求塚へ案内する。この塚は、想いを寄せる二人の男の間で板挟みとなり入水自殺した、菟名日処女の墓であった。女は処女の故事を身の上のように語ると、救済を願いつつ姿を消してしまう。

僧が弔っていると、地獄の苦患に憔悴した姿の処女の亡霊(後シテ)が現れた。仏法の力によって視界を覆う業火の煙を晴らした処女だったが、そこに現れたのは、二人の男と、その争いに巻き込まれて死んだ鴛鴦の亡魂であった。地獄の炎で焼き尽くされ、責め苛まれる処女。彼女は果てなき闇路に迷い続ける姿を見せつつ、消えてゆくのだった。

アイの山本則重師は東京の狂言、大蔵流の山本東次郎師の甥御さん。この日の東次郎師の狂言、「文蔵」を見たかったのに見逃したのは残念だった。御歳84歳、今でもお元気で舞台を務められるのは本当に頭が下がる。東京でも何回か拝見したのだけれど、東京の大蔵流、特に東次郎師のお弟子さんの発声が肌に合わなくて、あえて見ようとは思っていなかった。山本則重師の発声はあまり耳障りではなかった。

片山伸吾師の菟名日処女(うないおとめ)は「おとめ」というには少々しっかりしすぎの感じがあった。しかし後場ではそれが逆にこの女人の業をまとった姿をリアルに表現することになっていた。やはり能は全部を見ないと全体が掴めないのだと思った。前場のツレの味方玄師は声といい姿といいさすがだった。見ほれ、聞き惚れていた。もう一人のツレを演じられた片山峻佑さんは片山伸吾師のご子息。大ベテランに囲まれて大変だったと推察する。やはりちょっと力不足だったのは否めない。腕試しだったのでしょうね。

お囃子はこのメンバーだから完璧。ワクワクしながら聴いていた。耳福だった。

そういえば「京都大学観世会創立九十周年記念」って但し書きが付いているのは京大観世会が百周年ということなんですよね。長期にわたる活動、改めて感心しました。観客も関係者が多かったのでしょう、客席はほぼ埋まっていました。