yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

能『清経』と能『羽衣』 in 「浦田保利十三忌追善 浦田定期能公演」@京都観世会館 12月11日

プログラムをあげておく。

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最初に京都府立大学名誉教授の山崎福之氏からの懇切丁寧な番組解説があった。『清経』では詞章中の歌の解説、合わせて平清経の系図と彼が没した現在の大分県の宇佐神宮の地理も参考資料としてあげられていた。ツレ(清経妻)の歌中の掛詞解説で、この曲の奥深さがわかった。さすが世阿弥である。非常に整った、また凝った詞章。解説がなければ聞き逃してしまう意味の深さ、濃さ。専門家の解説は実にありがたかった。

『清経』のシテ、浦田保浩師は武士としてはあまりにも貴族的だった清経の様を、細心に表現されていた。まだ平氏が滅ぶ前だったのに、あえて自死を選んだのは宇佐神社で受けた託宣に悲観してのものだったこと。戦場で死ねば修羅道に堕ちてしまうところ、自分はあえてそれを選ばず、笛を吹き、今様を謡う。武士であることを選ばず、優雅な貴族であり続けることを選ぶ。その死生観。平家滅亡は必定、いずれ死途の旅に出るならば自分でその死に様を選ぶ選択をする。それが敵味方に分かれて戦い、その暴力と憎しみの連鎖を断ち切る唯一の道だったと。

華麗な衣装に烏帽子を付けて舞う姿はまさに貴族。笛の名手だったという清経が扇を笛に見立てて、この世の儚さを舞うところは、哀しい。得心しているようでいて、やはり迷いがある風情を出しておられた。くるくると回られるとことも、武士の風ではなく貴族的で麗しい。清経の穏やかな人となりがしのばれる舞い。

そこからは激しいキリの舞。妻に修羅道の苦しみを見せるため戦いの様を再現するのだけれど、それを若い武士の所作というより、どちらかというと抑えた所作で魅せるのがキモなのだろう。最も肝心なのは心の清らかさを示す最後だろうけれど、そんな清経を浦田師は狂いなく優雅に舞われた。清経の矜持が見える最期。あくまでも美にこだわった死にざま。グッと迫ってきた。

二つ目の『羽衣』のシテは変更になっていて、浦田保親師が務められた。今まで見てきた『羽衣』の中で最も胸に迫るものだった。天人の嘆きというか、俗世に対する諦めのようなものを強く感じた。

「天の原 振り放けみれば 霞たち 雲路まどひて 行方知らずも」の歌が特に興味深い。地謡方が謡う「涙の露の玉鬘 挿頭の花もしをしをと 天人の五衰も目の前に見えて浅ましや」にも、様々なアリュージョンが込められていて、まさに「おかし」の世界が展開する。そしてあのハイライト、「いや疑ひは人間にあり 天に偽りなきものを」のシテ(天人)のセリフとなる。山崎福之氏の解説がより理解を深めてくれたことに感謝。

天人が表象する天界と白龍が属する俗界との落差。それはおそらく埋めることのできないもの。なぜなら衣を返す条件に白龍が持ち出したのが天人の舞の所望だったから。無条件ではなかった。そのあと天人の舞を見た白龍が感動し、圧倒されたとしても、彼が条件を出したことは揺るがない。

天人はそれを承知の上で美しい舞を舞いつつ天空へと消えてゆく。この最後のところは大好きな箇所。「東遊の数々に」が聞こえてきただけで、ウキウキ感が最高潮に達してしまう。なんという至福!

「東遊の数々に 東遊乃数々に その名も月乃 色人ハ。三五夜中の 空に又 満願真如乃影となり 御願圓満國土成就 七寶充満乃寶を降らし 國土にこれを 施し給ふさる程に 時移つて 天の羽衣 浦風にたなびきたなびく 三保乃松原浮島が雲の 愛鷹山や富士の高嶺 かすかになりて 天つ御空の 霞に紛れて 失せにけり」

浦田師の天人は後ろ向きに橋掛りを奥に引っ込まれた。天人の優しさを感じてしまった。