yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

羽生結弦選手の一貫したテーマを結晶させた『天と地と』in「フィギュアスケート全日本選手権男子フリー」@長野市スポーツアリーナ・ビッグハット 12月26日

今回のフリーの『天と地と』は、以下の2つが達成されていた点で、羽生結弦選手の今までの集大成だと感じた。

1.「天と地」は羽生結弦選手の演技を貫くテーマ

2.  和/洋のアマルガムが軸

 

1.「天と地」は羽生結弦選手の演技を貫くテーマ

強いメッセージ性を感じる選曲。彼の選曲には「天と地を結ぶメディアム」としての自覚が明瞭に打ち出されている。時系列に並べると以下である。

 

○『天と地のレクイエム』(2015)

○『SEIMEI』(2015-2017)

○「Notte Stellata」瀕死の白鳥 (2016)

もちろんこのテーマは、羽生結弦さんが哲学的思考をする人だということからきている。演技者であると同時に哲学者なのが「羽生結弦」その人なのである。また、ずっと変わらないテーマが、「羽生結弦」の強烈な存在感と安定感を醸し出しているといえるかもしれない。一つづつ確認する。すべて当ブログ記事にしているので、リンクしておく。

(1) 『天と地のレクイエム』(2015)

ブルー地に刺繍が施された衣装は、地の底から這い上がる未整型のアメーバー的実在を思わせるもの(この発展系が今回の衣装、上ブルーの着物スタイル、下黒パンツに紺のサッシュになったのだろう)。フアフアな感じ流動体は地の底に沈められた死者を表し、その死者が冥界から甦る様を舞いの形に造型した。テーマは鎮魂。

(2) 『SEIMEI』(2015-2017)

彼岸・冥界と此岸・現世を結ぶメディアム、陰陽師の安倍晴明を描く。これは『天と地のレクイエム』で死者を悼んだその先、霊を鎮め、地上界の魂を浄めるという使命を負った晴明の陰陽師としての務めを描いている。「闘う人」のイメージが付加されてもいる。芸術性、優雅さ、神秘性で他選手(演者)の追随を許さない高みにある。

もうひとつの記事でも論じました。

www.yoshiepen.net

自分の記事の引用で、面映いのですが、一部引用します。

「始まりの「パン!」という音色。それにピタッと合わせて羽生結弦選手の手が天を指して挙がる。差しのばした腕がチャンネルになり、天と彼の身体が繋がった瞬間、羽生結弦=安部晴明という揺るがない「自信=自身」が会場に響き渡った。このとき、「羽生結弦」は「天地を治めた」陰陽師、安倍晴明になった。

(3)  「Notte Stellata」瀕死の白鳥 (2016)

ヤマトタケルが白鳥になって飛び立った神話を連想させる演技。これも地と天界とを繋ぐメディアムという暗喩が込められている。

2.  和/洋のアマルガム

もう一つの集大成の一つが和洋のアマルガムである点である。

ほとんどすべての選曲にこの和洋の合成が見られるけれど、その最たるものはやはり『Origin』(2019)。記事にしている。

www.yoshiepen.net

振り付け・音楽・衣装がすべて西洋と東洋の合成として提示されている。基本、プルシェンコ選手が採用したバレエ・リュスの振り付けが採用される。バレエ・リュスそのものが「オリエンタル」要素を西洋バレエに取り込んだもの。それをさらに応用、和テイストが散りばめられている。

さて、今回の『天と地と』では和洋はどう合成されていたか?振り付け、音楽、衣装で確認する。

(1) 振り付け

今回の振り付けはほとんど自分で考えたと羽生選手。流れるように舞う様は今までとほぼ同じ。ステップもスピンもジャンプですら、羽生結弦独自のしなやかな形。でもそこに、時折あの『Origin』風の手の動きが入る。バレエ・リュスのもの。さらには『SEIMEI』の天と地を繋ぐ所作が入る。ここでも集大成の感がある。

(2) 音楽

今回の音楽はNHK大河の『天と地と』のオープニングテーマ。当然底にあるのは合戦。でも西洋的な合戦ではなく、日本の合戦感を強く打ち出すために、和楽器を戦略として使っている。ただし、和楽器は琴にしても琵琶にしても西洋音楽と比べると柔らかいので、シンセサイザーの電子音と合成させることで剛くしている。ここにも和と洋のアマルガムが見られる。

(3) 衣装

今回の衣装は上が着物打ち合わせ風。和と洋の合体形。「花になれ」時の衣装の発展形でもある。淡いブルーとピンクの取り合わせも同じ。ただ今回のものは、全体に桜?の刺繍が施されていて、より優雅度が高い。濃紺にビーズの散りばめられたサッシュも帯をイメージしたもの。誇り高い勇者、上杉謙信を具現化する狙いがあるのだろう。

今までコーチとともに曲を選び、演技を作ってきた羽生結弦さんが、今回はほぼ単独でその両役をこなさざるを得なかった。逆にそのことが、彼が演技者として積み上げてきたノウハウの全てをぶち込んで、一つのメルクマールとなる集大成点として示すことが可能になった。さらに、技術面だけではなく、思考それ自体を思想にまで高め、それを演技に表現できる点に到達したようにも感じた。得点も最高点だったけれど、それ以上に「羽生結弦」が「羽生結弦」として屹立した瞬間に、私たちは立ち会ったのかもしれない。

コメントをいただいたshamon様のご指摘で改めてネットを検索、羽生選手の衣装背中には確かに上杉氏家紋の二羽の雀が刺繍してありました。ありがとうございます。