もう完璧を超えた異次元の世界が展開していた。コンペであることを忘れてしまう。羽生結弦という人が全世界の観客を前に演技を披露する。私たちは観客として、ひたすらその舞台に魅入り同化する。ジャンプはもちろんどう跳ぼうと、凄いものものであることが、最初から分かっている。それほど何か違った宇宙的な世界とでもいうか、まさにサブライムだった!
曲は大河ドラマ『天と地と』のオープニングテーマ「〜甲斐の軍勢〜越後の冬」をほぼそのまま採択したもの。羽生選手自身が語るこの曲解釈が示唆的である(「スポニチ」のインタビュー記事)。
――この曲は琵琶の音をうまく使っている。
「まあ、あの、う~ん、まあ最初の琵琶はそのまんま、曲そのまんまであった琵琶なので。まあ、曲の流れとして、なんか闘いにいくぞというか、ある意味、決意を込めた、そうですね、決意を込めた、闘いに行くための準備みたいな感じの決意に満ちている感覚です。で、最後の最後にイナバウアー終わった後のスピンやりながらの琵琶に関しては、あそこはそもそもある音じゃなくて、あの琵琶の音をちょっと違うところから持ってきて、違う曲と重ねて、オリジナルなものにしているんですよ。あそこはなんかコレオステップの時に、もう闘いたくないんだけど、守らなくてはいけないって意味で闘いつつ、で、最後、謙信公が出家する時に、自分の半生を思い描いているようなイメージで、そこに琵琶を重ねてみました」。
――琴は。
「日本風なより日本風に持って行きたかったので。あそこは自分の中では信玄公と闘った後に、川中島で闘った後に、霧に包まれて離ればなれになって、自分と向き合っている時間みたいな感じなんで。琴の音とかで自分と向き合いながら、自分の鼓動が鳴っているのとか、血が流れている感覚とか、スっと殺気が落ちていく感じが感じられたらいいなと思います。このプログラムの選曲自体は自分がやっているんで。選曲、編集もかなりバージョン作ってやったので、音自体にもすごい込められていますし。ただ、僕は音楽家ではないので、やっぱりスケートと合わせた上でのものになっているのかなという思いはあります」。
曲編集にも自らが携わったことが告白されていて、興味深い。羽生結弦選手の選曲の特徴は以下の三つにあると思う。
1. 物語性
2. 美を超える強靭
3. 「サブライム」の描出
1.物語性
「天と地と」は極寒の身も凍る戦場で武田勢との戦いに挑む上杉謙信の物語である。羽生選手が物語性の強い曲を選ぶのは常。オープニングには、軍神と崇められた上杉謙信公の一生がひとつの流れとして描かれている。羽生選手は上杉謙信についての本を読み、入念に研究した結果がこの選曲になったと思う。
10年以上に及ぶ武田勢との戦い(川中島の合戦)、その間、ずっと敵を見つめ、自らの死を見つめ続けざるを得なかった謙信。張り詰めた緊張感で己を律してきた謙信に、羽生選手は自身の10年に及ぶ戦いの時間を重ねていたのだろう。常に主戦場の前線で戦う者同士の強い連帯感が感じられた。さらには、今現在、戦場を前にし、一瞬だけれど、緊張が緩む瞬間があった。それを彼は「信玄公と闘った後に、川中島で闘った後に、霧に包まれて離ればなれになって、自分と向き合っている時間みたいな感じ」と表現している。死を見つめるということは、虚無と向かい合うことでもあるだろう。この若さでそこまで読み込んでの曲解釈。「義の人」とも謳われた謙信の心理にまで踏み込んだ解釈。深く洞察、かつ自らを重ねて潜思する中に、演技を重ねてゆく。その作業を、丁寧にまた緻密に積み重ねた上で実現したのがこのプログラムといえるだろう。
2.美を超える強靭
和楽器単独だと西洋音楽のような迫力は出せないだろう。*1
しかし、最初に入る琵琶の音は実際のものより、より靭く厚い。オープニングは川中島合戦を描いているので、曲調はそれに見合った迫力がなければならない。琴にさらに音の厚みと剛を加える作業が施されている。ただ、派手な増幅、雑味はまったくない。必要不可欠なアクセントになっている。この琵琶音は実際の琵琶の音よりも強靭な音色である。最後にあえて付加的に挿入された琵琶音にも、羽生選手のオープニング部への強い想いが感じられた。
3.「サブライム」の描出−−武者と不協和音と—
この最後の琵琶挿入について、羽生選手が語る言葉が興味深い。
「もう闘いたくないんだけど、守らなくてはいけないって意味で闘いつつ、で、最後、謙信公が出家する時に、自分の半生を思い描いているようなイメージで、そこに琵琶を重ねてみました」。
謙信自らが半生を振り返ってみるそのイメージがこの琵琶音に表象されているということだろうか。このレトロスペクティヴな志向(思考)はそのまま『平家物語』を貫く死生観でもある。琵琶といえば平家、平家といえば琵琶というように琵琶という楽器は、「平氏一族の隆盛と衰亡」を法師の語りに乗せて演奏する楽器である。
『平家』はまたレトロスペクティヴな思考に裏打ちされた鎮魂の書でもある。戦いはけっして美しいものではない。その有様を美しい琵琶の音と流麗な語りで目の前に展開させつつ、描いているのは美を超えたサブライムの世界である。人の力では到達できない、人智を超えた特別な「美」。世間的美を超えた先のサブライム。作曲された『天と地と』が描こうとしたのも、単に美しい流れに乗った音楽ではなく、どこか不協和音的な介在が挿入される音楽だったように感じる。
そしてやはり能の、それも修羅能と呼ばれる能で描かれる平家武者たちの姿が、この世に念を残しつつ死んでいった武者たちとその想いが、音楽につられて出てくるような感がする。能のお囃子(音楽)もある意味不協和音の連鎖の上に成り立ったものでもあると、密かに考えている。
謙信という戦国武者もその流れ、クロニクルズ (chronicles) の中にカウントされうるだろう。羽生選手が謙信一代記とでもいうべき『天と地と』を採用したことに、さすがと脱帽する。彼の曲、特にフリー曲には「武者」のテーマが潜んでいることに、改めて瞠目する。
今回のプログラムは今までのテーマの集大成だったように思う。その分析は別稿にする。
*1:NHK大河ドラマの「天と地と」小室氏作曲ではなく冨田勲氏であることをmasa60様よりご指摘いただきました。小室氏の引用を省きました。ありがとうございます。