yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

羽生結弦選手はヤマトタケル?——「白鳥」は甦りのドラマ

『古事記』の英雄、ヤマトタケル。父天皇から東征を命じられ、神剣、草薙の剣を持って長い征伐の旅に出るものの、傷つき、遂には能煩野の地で命尽きる。その陵からは大きな翼の白鳥が空高く飛び立ったという。

NHK杯最後に魂を震わせるような「白鳥」を披露した羽生結弦選手。「羽生結弦選手はヤマトタケル尊の化身なのでは?」という思いが湧き上がった。

この曲、「Notte Stellata」の原曲はサン=サーンス作曲「白鳥」。西欧の名だたるプリマが「瀕死の白鳥」として踊っている。だから聞いた瞬間、「あっ、あれだ!」と思った。でも、何人かのバレエダンサーの舞踊と比べてみて、羽生結弦選手のパフォーマンスの方がずっと精神的な高みにあるように思えた。単に「美しい」とう言葉では表せない、高み。身体をとことんいじめ抜いて、その先にやっと見えてくる、そんな高み。カナダGPの折にも、そこにマゾヒズムの匂いを感じ取ってしまった。なぜならこういう高みは「行」の末に到達するものだから。死さえも厭わないほど、とことん自分の身体を虐めぬく。修験道の行者たちが修行するのも、この高みに至りたいからだろう。羽生結弦選手の「行」が垣間見えた、そんな演技だった。

タラソワコーチは西欧的な「白鳥」を超えたものを羽生結弦というスケーターに期待していたのではないか。曲は西洋のもの。でもそれを彼の感性と技術で持ってすれば、今までになかった領野を拓いてくれるだろうと、期待していたのでは?その仮託は、意識的というより、芸術家としての感覚、無意識的な感覚だったように思う。

この曲が羽生選手の身体に浸み渡ったとき、それは自ずと彼の持っている日本的な感性と融合、日本の神話の人物となって「空高く羽ばたいた」。傷ついた瀕死の白鳥、その白鳥が死の境界から甦るドラマに私たちは立ち会ったことになる。ヤマトタケルの再生の物語を反芻することになる。さらに読み込めば、ここに能のパフォーマンスとも共通するシャーマニズムを強く感じる。

鎌田東二氏の『世阿弥』(青土社、2015年刊)によると、シャーマニズムには垂直軸を表象する「鳥シャーマニズム」と水平軸を表す「蛇シャーマニズム」があるという。その垂直軸は「霊・心・体」で成立しているという。私の勝手な読み込みを許していただければ、この「霊」はありとあらゆるものを超越する高みであり、「心」は共同体の集合無意識、アニマ的なもの、そして「体」とはまさに個々の肉体を指す。「心」にアクセスするということは、観客の集合無意識的なところに踏み込むということ。彼の演技を見た人(観客)があれほどまでに感動するのは、美を愛でるというのもあるだろうけど、それ以上に意識下のさざ波を感じてしまうからではないだろうか。集合無意識にはたらきかける演技は、厳しい行の上に成立したものである。体をとことん鍛え抜いて初めて可能になるもの。

「心」を共有する境地の先にあるのは、より高いレベル、つまり「霊」のステージ。「天」とも言い換えできるかも。この天への志向を表象するのが羽生選手のあの美しいジャンプなのかもしれない。そう考えれば、演技のずっと後半になって初めてジャンプが入れられているのは納得できる。

羽生結弦選手の演技をこの「垂直軸」に沿って見る試みをしてみたい。私はスケートはど素人なので、名称等に誤りがあるかもしれない。何卒ご容赦。

まずリンクに蹲るのは傷ついた白鳥。苦しんでいる。傷ついた体をいとおしむような振りがあり、そこから気力を振り絞って滑りはじめる。

イナバウアー。天を仰ぎ、天からのパワーを全身で受け止めようとする。パワーをもらって、白鳥は大きく翼を羽ばたかせる。伸びやかな滑りにパワーがみなぎっている。

水平のスピン。片腕は天に向けられ、もう一方の腕は氷上に向けられている。 天と地の真ん中でバランスをとる姿勢。緩やかに天と地の間をたゆとう。ここでコンビネーションスピン。キャメルスピンからシットスピンへと移ることで、身体を地に沿わせる。さらにピールマンスピンと続くことで、天と自身のつながりを見せる。ここで、完全に天と地のバランスが取れた状態。もはや傷ついた白鳥ではない。

リンクの上を白鳥が翼を広げたような感じでまあるく舞う。地のエネルギーの充填。甦った白鳥としてのスケーティング。エネルギッシュなスケーティング。ここでジャンプが2回入る。天への飛翔!そして前へ差し出された腕が観客と自身とのリンクを表す。観客との一体感。

最後はこの瀕死からの甦りのドラマを短く、コンパクトに再演し、シットスピンから起き上がって観客へのアピールでフィニッシュ。天に飛び立った白鳥がリンクに帰ってきた瞬間。観客はメタモルフォーゼのドラマを目撃した。羽生結弦選手の苦悶に歪んだ顔。それも当然。死から再生のドラマを生き抜いたんですからね。最後は元のゆづに戻ってのとびきりの笑顔!天に感謝。こんな「まれびと」をこの世に、それも日本に送り出してくれて、ただただ「ありがとう!」と。