yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

羽生結弦選手のEX演技「ノッテ・ステラータNotte Stellata(The Swan)」 @グランプリファイナル in トリノ−「甦る=復活する英雄」を再び!

Il VOLO(イル・ヴォーロ)の「ノッテ・ステラータ(星降る夜)」。原題は「Notte Stellata (The Swan)」、原曲はフランスの作曲家サン・サンースの「白鳥」であり、タラソワコーチが羽生結弦選手に使って欲しいと渡したもの。羽生選手のEX曲、ひとつとしてハズレのないどれも素晴らしいそれらの中で、それでも個人的にはこの曲が最も好きである。彼がまとっている色々な要素がすべて網羅されていて、それら間に齟齬がない。あのどこまでも滑らかな滑りの間に入るスピン、ジャンプ。それらがひとつのドラマを構成している。美しい白鳥が傷つき、打ちのめされ死にかかっているーーやがて瀕死の白鳥が起き上がり、羽ばたこうとする。未来に向かって。それは死と再生のドラマ。甦り=復活のドラマ。まさに空高く白鳥になって飛翔して行った伝説の英雄、ヤマトタケルそのもの。2017年の世界選手権でSPの劣勢をフリーで挽回し優勝。そしてEXでこの曲を使ったのだ。こんな復活劇をここまでドラマチックに演じきれる選手は他にいない。泣きながら白鳥に同化して、そのドラマを生きたいと思う選手が、他に存在しますか?

今年のグランプリファイナルのEXで、この流れの美しさを再びリンク上に見ることができるのは至福の極みである。どの所作をもひとつひとつ愛おしむように優雅に演じる羽生選手。そこに滑らかな流れを切り裂く悲劇が。とはいえ、最後のスピンは新たな甦りを予感させるもの。なんと美しいドラマをこの人は演じるのだろう。なんと美しい舞い手なのだろう。その舞はまさに芸術。舞い手自身もまさに芸術品。

ひとつ強く感じたのはこの曲の「美の演出」以上に、羽生選手の私たちへの約束のような気がした。

 EXでのこの曲はなんども記事にしているが、「甦りのドラマ」については、2017年の「羽生結弦が羽生結弦であるためにーー競技としてのフィギュアを英雄伝説に変貌させる羽生選手の天才 グランプリ世界選手権の演技について」という記事に、羽生結弦という選手は「甦りのドラマ」を演じる芸術家」と書いた。

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バレエ曲の方は瀕死の白鳥を描いているけれど、このイル・ヴォーロの「ノッテ・ステラータ」はもっとラテン調で明るい。瀕死から新しく立ち上がろうとしている白鳥を鼓舞しているかのよう。瀕死から甦る象徴としての「白鳥」。羽生選手のいまの気持ちに重なるのかもしれない。もっと言えば、必ず復活し、天下を取るという私たちへの約束とも見える。

「ノッテ・ステラータ」について書いた記事の最初のものが2016年のスケート・カナダでの演技。その次が「羽生結弦選手はヤマトタケル?——白鳥は甦りのドラマ」

そこで、改めて「SEIMEI」の下敷きになっている能とこの「ノッテ・ステラータ」との近似について書いている。長いし、自分の書いたもので面映ゆいのではあるけれど、引用させていただく。

「瀕死の白鳥」を踊るロシアのダンサーの芸術完成度が飛び抜けて高いのは、そこに何がしかの東洋的なマゾヒズムが存在するからかもしれない。能の仕舞のあまり動きのない静かな所作の中には、身体を苛め稽古を積み上げてきたある種のマゾヒズムが透けて見える。羽生選手が「SEIMEI」で、能の「マゾヒズム」を描出できたのは、おそらくは羽生選手の中にそれを許容できる、もっといえば享受できるような素地があったからだろう。「過酷な練習の中にのみ花開く」芸術の表現者としての自負は、彼の中にあったのではないか。それでなくてはあんなにも素直に能の具現化するものにアイデンティファイできなかったと思う。

今回のEXのスケーティングはまさにその延長線上にあるような気がする。マゾヒズムを極めてゆけば、瀕死の白鳥が表象する「崇高」にまで行ってしまう。そこを踏みとどまらせるのは、あのイル・ヴォーロの甘い歌声であり、その調べに乗った歌詞だろう。この絶妙のバランスの上に、羽生結弦選手のパフォーマンスは屹立している。

芸術はなにがしかのマゾヒズムを秘めていると思う。マゾヒズムがマゾヒズムで終焉せず、そこからそれを踏み越えて新しく生まれ出るなにか、それが観る者に共感を呼び、その心に楔をうちこむのではないだろうか。

競技である以上、点数が付いて回る。不公平な採点に苦しむこともある。でもそれを超えることで、新しく生まれるものが必ずある。羽生選手はそれをわかっている。仮に高得点を獲ってもその芸術性への意識がなければ、人を感動させることはできない。羽生結弦という人をフィギュアスケートに持つことの幸運に改めて感謝。あなたは(例えば今度優勝した)他選手の演技に感動しましたか?心が震えましたか?