yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

第20回記念公演芦屋能・狂言鑑賞の会@芦屋ルナホール 11月29日

姿はスッキリと、声は朗々とで、長山耕三師シテの舞囃子「高砂」が頭抜けて良かった。二年前の京都・大阪での「大連吟」に参加して以来、この演目には想い入れがある。全体を覚えているので、思わず口をついて出てしまう。だから、うまい能楽師のものしか聞きたくはない。数ヶ月前に見た味方玄師の舞囃子に衝撃を受けた(素晴らしかった)のだが、今回の長山耕三師の舞囃子には違った感慨があった。 

長山耕三師のそれは京都観世のものとはいささか異なっていたように思う。同じ観世でも京都観世と東京の観世喜之師(九皐会)系とは色合いが違うのかもしれない。同じようでいて、微妙に違っている。おそらく、箇所箇所の声のボリュームの厚・薄の違いがあるのかもしれない。型の美しさは共通していたけれど。 

この日のプログラムは以下。演目と主要演者一覧。

  • 舞囃子「高砂」八段之舞・長山耕三
  • 狂言「舟渡聟」・野村万作、野村萬斎
  • 一調「三井寺」・観世喜正、久田舜一郎
  • 舞囃子「班女」・観世銕之丞
  • 能「葵上 梓之出」・長山禮三郎、長山桂三、福王茂十郎、野村萬斎ほか

一調の「三井寺」が良かった。観世喜正師はビデオで拝見したことがあり、銕之丞家とは違った華やぎのある方だと思っていた。だから実際にその謡が聴けたのは嬉しかった。謡は申し分なかったのだけれど、小鼓の久田師があまりにも「ドン=鈍」でいただけなかった。所属流派の長である大倉源次郎師とは雲泥の差。

 最後の能、『葵上』、またもやあのドンな小鼓方かと思ったら、なんと!成田達志師だった!いただいたプログラムに記載されている小鼓方名は違っていたので、嬉しい差し替え。大鼓が山本哲也師とくれば、まさにTTR再現。よかった!これでこの舞台は成功間違いなしと確信した。

照日巫女役の長山桂三師は、声といい姿といい申し分なかった。ただシテが六条御息所の迫力がなかった。年齢だと思う。いっそのことご子息たち(耕三・桂三)のいずれかが演じた方が良かったのでは?今までに見てきた『葵上』、六条と横河僧都との激しいバトルが見ものの一つであるのに、それが今回のものには薄まっていたように感じた。福王茂十郎師、福王知登師も手加減している感じがした。

狂言の「舟渡聟」、京都の大蔵流のものを見ている。だからどうしても比較してしまう。いつも感じるのだけれど、東京の和泉流狂言の華のなさ。それが声量から、あるいは立ち位置からきているのか、ほとんど笑えないのが、正直なところである。とにかく面白くない。京都の茂山家の狂言があれほど面白いのに。萬斎さん目当てにきている観客も多数いたのだろう。会場は満員。関西人として、これにはちょっと抵抗がある。「あんたら、芸術がわかってんの?!」って言いたくなってしまう。まあ、「ごまめの歯ぎしり」でしかないのですけどね。