よりバレエの「瀕死の白鳥」に近づいていた。恐ろしいまでに。完成度の高さに唸る。繰り返し、繰り返し見る。何度見ても唸る。これぞ羽生結弦!
翼に見立てた滑らかで優美な腕の動き、角度、流れ、バレエの振り付けが立ち上がる。アァ、ここにいるのは、私たちが目撃しているのは、ゆづならぬ、一羽の「瀕死」の白鳥なんだ。息を詰めて見てしまう。この緊張感。白鳥ならぬ結弦さんは、その挙動一つ一つに命の炎を燃やす。消えてしまいそうなのを必死にこらえて。燃やそうとしてもそれはやがては尽き果てる運命。でもその定めに必死で抗らう。挙げた腕に念を籠める。それは燃え尽きる前の一瞬の生のきらめき。燃え尽きる寸前でかろうじて踏みとどまっている生の証。だからこそ、そのきらめきはより輝いている。とはいえ、ギラギラしたものではなく、どこまでも静かで優しい。滑らかなスケーティング、スピン、全てが完璧に調和している。美しい。
NHK杯の折もその調和の美しさに圧倒されたが、今回はより先鋭化されている。より研ぎ澄まされている。「瀕死の白鳥」に近づくために、どれほど多くの時間が費やされたのかが、一目瞭然。得点に結びつかないんですよ。エキシビションは。それでもより高みを目指して精進するというこのストイシズム。余分なものが一切ない。ただただ美のエッセンスに迫ろうとする謙虚なapprentice の姿がそこにある。こういう謙虚な魂にしか、美の女神は微笑まない。これは単なるスケートの演技では最早ない。
本来ならエキシビションの演技はリラックスしてみるものだろう。でも羽生結弦さんのそれはそういう「だらけ」を赦さない。緊張感を要請する。観客として、演技者と「交流」することを強いてくる。アグレッシブにというのでは無く、その逆。静かに、それでいて激しく。なんというか見ている側の潜在意識に働きかけてくる。だから逃れられない。気づいた時には交流の中に取り込まれている。
NHK杯の時よりもさらに(if possible)優美。自由な雰囲気が募っている。「自分の理解・解釈とその結果としての演技により確信を持ったよ。だから安心してね」と、メッセージを送られている気がした。
もう一点、強烈に感じたこと。彼の使った音楽は西洋のものではあるけれど、彼が描出するのは日本の精神。能のそれに限りなく近い。能の主役であるところの「霊」が、羽生結弦さんのあの白鳥に「憑依」しているようにも感じる瞬間があった。