yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「リチャード三世」アルメイダ・ライブビューイング@TOHOシネマズ西宮

昨年6月の舞台を収録し、映画版にしたもの。アルメイダ劇場の舞台を映画にしたのはこれが初めて(らしい)。今日が上映最終日だったことに気づき、とるものもとりあえず飛んで行った。ただ、客は私を入れて3人。宣伝の仕方が下手ですよ。東宝さん、もっと真剣に集客策を練ってください。

以下、Culture-Villeサイトから。丁寧な紹介と解説。ただし長いので、ポイントのみ。

【Introduction】
 2012年に英国ランカスターでリチャード三世の骨が発見されるという英国史としても重要な大事件が起きた。この発見は、シェイクスピアが描いた歴代王の中でも悪名高く有名なリチャード三世への社会の関心をあらためてかきたて、シェイクスピア没後400年という記念年に合わせて「リチャード三世」の上演が決定、そして本作で初めてアルメイダ・ライブとして世界劇場公開が決定。
 アルメイダ劇場、初の劇場上映となる舞台「リチャード三世」は、シェイクスピアが描いたイギリス王の中で最も残虐であるリチャード三世をレイフ・ファインズが演じ、マーガレット王女にはヴァネッサ・レッドグレイヴを迎え、アルメイダ劇場芸術監督のルパート・グールドが演出を手がけた。

【Story】
 戦火で荒廃したイングランドは内紛が続いていた。エドワード王による統治は不安定で政治の混乱の火種が燻っていた。エドワード王の弟リチャードは虎視眈々と兄の王冠を自分の手中に収める機会を狙っていた。リチャードは戦を愛し、平和は疎むような人間だった。  邪悪なリチャードを通して、シェイクスピアは抗争に蝕まれた社会の中枢に位置する権力を渇望する強烈な欲を見事に描いている。ローレンス・オリヴィエ賞受賞演出家ルパート・グールド(「マクベス」、「チャールズ三世」)が、英国史を紡ぐ王冠をめぐる陰謀の伝説を鋭く描く。

【キャスト・スタッフ】
キャスト
リチャード(グロスター公):レイフ・ファインズ   
マーガレット女王:ヴァネッサ・レッドグレイヴ
ジョージ(クラレンス公):スコット・ハンディ
ロバート・ブラッケンベリー:トム・カントン   
ウィリアム・ヘイスティングス:ジェームス・ガーノン
レディー・アン:ジョアンナ・ヴァンダーハム
イーリー司教:サイモン・コーツ
ケイツビー:ダニエル・セケイラ
エリザベス:アイスリン・マクガキン
リヴァーズ伯:ジョセフ・アークレイ
ドーセット侯:ジョシュア・ライリー
スタンリー卿:ジョセフ・マイデル
バッキンガム公:フィンバー・リンチ
ラットクリフ:マーク・ハドフィールド
エドワード四世:デヴィッド・アネン 
ヨーク公夫人:スーザン・エンジェル
ヨーク公リチャード:ベネディクト・バーカー
          オリヴァー・ホワイトハウス
エドワード5世:ルーカス・ロルフ
        バクスター・ウェストビー
ロンドン市長:マーク・ハドフィールド
ティレル:デヴィッド・アネン
リッチモンド伯:トム・カントン
ブラント:デヴィッド・アネン

スタッフ
演出:ルパート・グールド
   (アルメイダ劇場芸術監督、オリヴィエ賞受賞演出家)

ネット検索をかけると、いくつか劇評が見つかった。ガーディアン紙のものを引用させていただく。Michael Billington氏のもの。リチャードを演じたレイフ・ファインズ評が芳しくない。曰く、「生真面目に演じすぎていて、役を楽しむ余裕を感じられない。そのため、原作の醸し出す底意地の悪いwitを描出できていない」と。そこにファインズのリチャード像の理解の限界を見ている。特に女性への極めて直線的な蔑視(の演技)。こういう風に演じると原作にある「 Richard’s irony and duplicity」が無効化され、魅力が半減すると辛辣。でもかなり当たっているかも。

ずいぶん前にBBC製作の「シェイクスピア・ビデオシリーズ」中の『Richard III』を見たけれど、記憶の彼方にあるリチャードは「悪」をもっと誇張して演じていたように覚えている。えぐい男、筋金入りのワルではあるのだけど、まるで一つのアイコンのようで、人間臭さよりも一種のロボットを思わせる。だからそのロボットが垣間見せる怨みの念に逆に彼の弱さ、メカニックな割り切りで処理できない「人間味」を感じたりする。ファインズのリチャードはあくまでも政治的。つまりどこまでも人間臭いリチャード。これをどう評価するかは、観客の好みによるのかもしれない。2014年3月にミラノ、ピッコロシアター「Riccardo III」を見たけれど、あのリチャードは「悪」と「道化」の二面性を併せ持つ男として描かれていたような。だから、見ている側はpityさえ掻き立てられる瞬間があった。

「それでもファインズのワルの演技が引き立っていたのは、女優陣に恵まれていたから」という評にも頷かされた。まず、あのヴァネッサ・レッドグレイヴ。まるで老カッサンドラ。赤ん坊の人形(それも醜い)を抱きかかえ、ヨーク家、ランカスター家、それぞれが呪いを受けるだろうと予言。事態は実際にそうなってゆく。リチャードがワルだったから悲劇が起きたのではない。彼はあくまでも必然的な歴史の環、一つのコマにすぎない。そういう人物を生み出した歴史背景を彼女はあばきだす。一人の狂った老女として。もう齢80歳なんですよ。それでいてこの存在感。

もう一人、印象的だったのがエドワード王の妃エリザベスを演じたアイスリン・マクガキン。レッドグレイヴとの絡みは鳥肌が立った。またリチャードにレイプされ、結局は彼を受け入れてしまうサマがあまりにも真に迫っていた。また、エリザベスの妹で父と兄を殺されたのにもかかわらず、リチャードの奸計によって彼の妻になるアンを演じたジョアンナ・ヴァンダーハムの演技も説得力があった。「弱き者よ、汝の名は女なり」なんてのを地で行くんですから。その「弱さ」のサマが秀逸だった。

ガーディアン評はさらに王冠とドクロを使った演出を評価していた。確かにうまい小道具の使い方。でも私は舞台の造りそのものに感動。階段をうまく組み込んでいた。また、舞台中央に開けた穴が効果的に使われていた。効果的と言えば(これはアメリカのみならず日本でも目にしたことがあるけど)間幕の使い方。舞台後方に簾状(紗が使われることも)の幕というか、カーテンがかけられ、こちらとあちらとの区別をしていた。

このアルメイダ劇場はミラノのピッコロシアターに似ていた。全体も舞台の大きさも。日本だったらどこになるんだろう?シアター・コクーンとは似ていない。今まで行ったことのある中では梅田、グランフロントにあるナレッジシアターに似ているかも。ロケーションがウエストエンドではないのに驚いた。地図で確認したらずっと北のもっと辺鄙なところにある。地域振興を目して建てられた比較的新しい劇場なのじゃないか。ウェストエンドの劇場にかかるものとは、あるいはナショナルシアターにかかるものとは違った芝居を新しい演出で試みているような雰囲気。それらより「大衆的」なアプローチを意識しているような気がする。