yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

浦田保親師シテの『遊行柳』in 「浦田同門会能」@京都観世会館 12月20日

別記事に公演チラシを貼りつけるので、ここには『遊行柳』の演者一覧を抜き出しておく。

尉      浦田保親

老柳の精

遊行上人   宝生欣哉

従僧     宝生尚哉

所の者    茂山忠三郎

笛      杉信太朗

小鼓     曽和鼓堂

大鼓     河村 大

太鼓     前川光長

 

後見     井上裕久 大江信行

地謡     浅井文義 吉浪壽晃 橋本光史 田茂井廣道

       宮本茂樹 井上裕之真 山崎浩之 寺澤拓海

演目『遊行柳』の「概要」は銕仙会の「能楽事典」のものをお借りする。

 遊行上人(ワキ)が従僧たち(ワキツレ)を伴って白河関にやって来ると、そこに一人の老人(前シテ)が現れ、昔の遊行上人が通った古道を教え、そこに生えている名木「朽木柳」に案内する。老人は、むかし西行がこの柳のもとに立ち寄って歌を詠んだ故事を教えると、その柳の蔭に姿を消してしまうのだった。
 夜、一行が念仏を唱えていると、老柳の精(後シテ)が現れ、上人の念仏に感謝の意を述べる。老柳は、華やかなりし昔を恋い慕って柳にまつわる様々な故事を語り、弱々と舞を舞っていたが、夜明けとともに、上人に暇乞いをして消えてゆく。あとには朽木の柳だけが、そこには残っているのだった。

これに続く「みどころ」にも、この能を解釈する上での需要な背景が語られているので、少々長くはあるけれど、そのまま引用させていただく。

 本作の作者・観世信光は、他に〈紅葉狩〉や〈船弁慶〉を作ったことでも知られています。彼の活躍した戦国時代、能を楽しむ階層も変化し、幽玄で趣ふかい能よりも華やかでスペクタクルの能のほうがもてはやされるようになりましたが、その時期に活躍していた信光の作品にも、そういった曲趣の作品が多くなりました。しかし信光晩年の作品である本作はそういったショー的な作風ではなく、世阿弥以来の幽玄を基調とする作品で、老境にあった信光の心情が反映されているのかもしれません。

本作の、老木の精が老人の姿となって現れ、閑雅な舞を舞うという趣向は、世阿弥の〈西行桜〉に強い影響を受けて作られています。
 柳といえば、「道のべの朽木の柳春くればあはれ昔と忍ばれぞする」という歌がありますが、昔の華やかな日々、源氏物語に登場する柏木が女三宮に恋するきっかけともなった宮中での蹴鞠のことなどを思い出し、年老い枯淡の境地に達した身ながら昔を偲んで幽玄な舞を舞うのが、本作のみどころとなっています。柳にまつわる故実を語ってゆく〔クセ〕の中には、鞠を蹴る型(「暮れに数ある沓の音」)や飼い猫の紐を引く型(「手飼の虎の引き綱も」)などの写実的な型もあり、閑寂な曲趣の中にも華を添えています。

しかし一方で、この柳の精による舞は、念仏を授けられ、救済されることが決定した老木の精が、その念仏を授けてくれた遊行上人に対して見せる感謝の舞でもありました。本作のワキともなっている遊行上人とは、今も神奈川県藤沢市にのこる清浄光寺(遊行寺)の住職のことで、一遍上人の後継者として、阿弥陀仏の救済を証明するお札を配る「賦算(ふさん)」をしつつ全国を旅してまわっていました。本作では、ほんらい心をもたず、それゆえ成仏することもない植物の精が、念仏によって救われることが描かれています。後シテが登場する場面で「いたづらに朽木の柳時を得て、今ぞ御法に合竹の」と謡われますが、人跡絶えた古道で、人知れず朽ち果てる運命にあった老柳の精が、念仏の力によって救われることとなった喜びが、本作では描かれています。

昔を偲びつつ、いたずらに朽ち果てる時を待っていた老木の精。戦国時代、能の創作が終わりを迎えようとする中で到達した、閑雅な老いの世界をお楽しみ下さい。

(文:中野顕正)

静謐、閑寂が舞台に降り立ったようなこの作品、「幽玄」を具現化したと思われるこの作品があの観世小次郎信光のものだというのが、まず驚きだった。上の「みどころ」にもあるように、信光といえば躍動感のある、スペクタクルに満ち満ちた作品で知られているから。私がこれまで見てきた信光の作品、『船弁慶』や『紅葉狩』等はまさにその路線に沿ったものだった。しかし、この作品は、シテの登場から後場の退場まで、場を支配するのは静謐である。舞すらも静かで落ち着いたもので終始した。

もっとも印象的な場面は後場のシテの姿である。単なる植物に過ぎない柳(の精)が烏帽子を被り、身には狩衣をつけて、まるで貴公子のように登場するのだ。貴公子=柳が昔の栄華を偲ぶさまは、柳が「心」をもつことを表しているのだろうか。

その柳の精が上人に、成仏するための念仏を懇願する場面には、自然の万物に魂があるとする日本の信仰の一形態が示されているといえるかもしれない。柳が仏法によって成仏するというのには、神仏混淆も読み取れるだろう。以下の詞章にそれが顕著である。

シテ 徒に。朽木の柳時を得て

地謡 今ぞ御法に合竹の

シテ 直に導く。弥陀の教へ。
地謡 衆生称念。必得往生の功力にひかれて草木までも。仏果に至る。老木の柳の。

上人のお経=弥陀の教えによって柳といえども貴公子として現れることができたのだと柳の精は言って、感謝を述べる。さらには感興が乗って、柳の由来に関する故実を綿々と語り始める。

まずは紀元前2500年頃に逆賊・蚩尤を滅ぼし中原地域を統一した伝説上の帝である黄帝とその臣下である貨狄が、柳の葉に乗った蜘蛛から着想を得て船を発明し、その船で大河を渡ることができ、敵を征伐できたという故実である。

次は唐代へと時代は移。玄宗帝が愛妾の楊貴妃とその昔過ごした離宮、華清宮に楊柳を植えて亡き愛妾を偲んだという故実。

ところ変わって今度は本朝、日本。清水寺の滝を遡って行った先に、朽木の柳が楊柳観音となって立ち現れ、そこが霊地と認められたという伝説が続く。

さらに時代が下り、花ざかりの都で、大宮人が沓音も高く蹴鞠で戯れた様を描写して見せる。その「蹴鞠」が『源氏物語』中の柏木の女三宮の見初めの場へと連想はつながる。柏木が蹴鞠に興じていたところ、女三宮の飼っていた猫が御簾から飛び出し、御簾が引き上げられてしまう。そのとき、柏木が庭の柳ごしに女三宮の姿を目撃してしまった。それが、恋の始まりとなり、彼の悲劇的な死へと連なって行く。それが「その柏木の及びなき。恋路もよしなしや」という詞章で表現されている。

柳の精が引用した故事の数々。それらは、黄帝以外は全て悲劇で幕を閉じている。それを語る柳自身も往時の青々とした枝葉をつけた状態ではなく、「気力なうしてよわよわと」とすっかり老木となり果て、世の「はかなさ」を嘆く始末である。

柳の精は元気を振り絞って、往時を偲びつつ舞ってみせる。しかしやはり「枝も少なく」、「足もともよろよろよわよわと」と今にも倒れ込みそうになる。でもなんとか上人に感謝の思いを伝えようとするのだ。

後場で何度も繰り返される「朽木」、「老木」という言葉は、現在の「老い」を認めているだけではなく、青々とその枝葉を茂らせていた昔の自分の姿をも同時に浮かび上がらせているのである。だからこそ、「都の花盛。大宮人の御遊にも。蹴鞠の庭の面。四本の木陰枝垂れて。暮れに数ある。沓の音」という場面が生き生きと立ち上がってくる。まるで柳がその昔烏帽子を被り狩衣を着た貴公子だったかのような、そんな絵図が浮かんでくる。

「みどころ」に言及されている「鞠を蹴る型(「暮れに数ある沓の音」)や「飼い猫の紐を引く型(「手飼の虎の引き綱も」)などの写実的な型」は確かに華やかさを演出してはいるけれど、それが逆に今や朽ち果てた木になった柳の哀れさを強めてもいると感じた。

この箇所の浦田保親師の舞は、ギリギリまで抑制された。限られた所作の中に柳の思いが重なっているようで、ただただ感動した。謡も極めて抑えられたもので、老木の哀しみがゆっくりと滲み出て出ているような感趣があった。

最初に書いたように、この作品があの信光作だとは実に意外だった。世阿弥の「幽幻」風を嫌い、彼を佐渡に流した足利義教。彼が贔屓にしたのは華やかな風を持つ世阿弥の甥、音阿弥だった。その音阿弥の第七子が信光である。彼の作品も華やかで、スペクタクルに満ちたものばかりだと、私はずっと思い込んできていた。

しかし、老境に入った信光は、二代の将軍に引き立てられた父音阿弥と自身の華やかな過去、華麗な舞台を思い返し、無常の念に苛まれることとなったのではないか。それがこの『遊行柳』の朽木となった柳に重ねられているのかもしれない。儚さに色濃く染められた舞台を見ていて、寂寞の念がズシンと胸に響いた。信光の深い諦念を柳に託して描いたのがこの『遊行柳』だったとしたら、この作品が今までとは違った形で立ち上がってくるようなそんな思いに囚われた。浦田保親師は信光の思いのこめられた柳の精を楚々として、はたまた飄々として演じきられた。圧巻だった。