暗闇の中で舞う羽生結弦さん。果てしのない闇の中でもがき、弱り果てた人の心を照らす光のよう。滑り出しから終わりまで、「祈り」が羽生選手の身体から光となって放射していた。最後に天に向かって手をさしのべ、さらなる明かりを要請するかのようなポーズ。天と地とチャンネルする巫女=メディアムそのもの。そして両手で自身を抱きしめるポーズ。自身への、そして私たちへの癒し。
歌声が入らないことで、音楽はより優しく、より流麗な流れになっている。音楽に寄り添いながらの舞い。ひたすらどこまでも滑らかに、激しさ、騒がしさが除かれ、残るのは、ただただ祈りの想いのみ。
こんなに優しいのに、こんなに雅やかなのに、強い念にあふれている。コロナ禍のもと、心と心をつなぎ合わせて乗り切ろうという想いがまるで光のように舞いの身体から放射している。暗闇の中に溢れる光。その光を浴びる幸福。その幸せ感を共有できる喜び。純度最高の喜び。羽生結弦選手の「春よ、来い」は何度も見ているし、ここの記事にもしている。でも今までのものとは違った印象があった。それはこの共有の想いがあるからかもしれない。
芸術には癒しの力がある。それをなによりも肌身に感じた「春よ、来い」だった。録画をなんども見返して癒されている。