yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

祈りの光に満ちていた羽生結弦のエキシビション「春よ、来い」in「北京五輪 2022」2月20日

羽生選手のエキシビション「春よ、来い」は彼のエキシビション中「花は咲く」と並んでもっとも好きなプログラムである。花の精が舞っているような神秘的な舞。癒しの光を放射している。私たちはその光を浴びて、痛みが癒されると同時に新しいパワーを得る。羽生結弦という人が、特殊な使命を帯びてこの世界に遣わされたと感じる瞬間である。

何回か当ブログ記事にしているのだけれど、「全日本フィギュアスエケート選手権 2021」の際の記事にはその想いを綴っている。

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このプログラムを最初に見た2018年「ファンタジーオンアイス 神戸」の際には「羽衣の舞」と感じた。返してもらった羽衣を纏って天高く昇ってゆく天女(能「羽衣」)のイメージはまさに上へ上へと舞い上がる羽生選手の舞姿にかぶる。

今回の衣装もその時と同じ淡い濃淡のピンクで、麗しくも高貴な容姿にこれ以上ないほどふさわしい。黒いベルベットのパンツは舞っている間は暗いリンクにほぼ溶け合っていて、淡いピンクの上着にまとい付く腕、腰のフリルがふわふわと舞い乱れ、まさに天女その人である。

苦しみに身悶えしながらなんとか地面から(リンクから)這い上がろうとする前半の舞。転調して後半に入ると強さが増して、まるでステージで超絶技を披露するバレエダンサーのよう。ステップもアップテンポになる。終結部はより靭く速い「急の舞」のテンポへと駆け上る。強い風をその身に受けつつそれに抗いながらの舞。そしてあの腕を広げての大きな一回転。続くイナバウワー。さらには手を宇宙高く上げる華麗なスピンで締められる急の舞。

そこにみえてくるのは、暗闇に呻吟していた天女はようやく命を吹き返し、癒しの光を風に乗せ私たちに降り注ぐ、そんな物語である。

まさに能の「序破急」が組みこまれた流れになっていて、再生の物語が立ち上がってくるのが、他のスケーターには見られない奥の深さである。だからこそのこの賞賛の嵐である。稀有な人、ただ一人の人、フィギュアを芸術に揚げた人。感動しない人はいない。もはや芸術になったフィギュア、それは今までもこれからも彼だけ。しかもその清廉な生き様は芸術家を超えている。彼の演技を見た人がまるで宗教に惹きつけられるかのように魅せられる(mesmerized)のは、そこである。

彼は先日のインタビューの中で「9歳と自分自身と一緒に滑った」とおっしゃっていた。これを聞いてあのマッシュルームカットの可愛い少年を思い浮かべて、泣きそうになった。こういうビジュアルというかドラマを再現させるというのは、羽生結弦選手が「羽生結弦」だから。過去の自分と一緒に演技するというのはこのエキシビションにもいえるのかもしれない。過去に「春よ、来い」を舞った時間の「羽生結弦」ときっと彼は一緒に舞ったのだ。

かたや私たち、彼を見ているということは彼の過去演技の歴史を自分の時間にも重ねていること。こんな素晴らしい時間をプレゼントしてくれる人、魂に喜びを与えてくれ人、我が身に光を注いでくれる人は彼しかいない。

オリンピック前に近くの弓弦羽神社に「羽生結弦さんが怪我なく無事にオリンピックを終えられますように」とお参りした。いつもよりも参拝者は多く、「羽生選手がオリンピックで勝利しますように」と書き付けた絵馬も尋常でないほどの多さだった。「怪我が良くなりますように」との絵馬もそれに混じっていた。

怪我は完治していないと知って、やはりフリー演技で感じた一瞬の「あれ?」は彼が痛みを我慢して滑っていたからだとわかった。それでもあの素晴らしい演技ですからね。加えてインタビューでのあの応答の完璧さ。

今までにまして世界中の人が羽生結弦という人の素晴らしさに感動、感謝しているのだ。それが実感できた北京五輪だった。